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古代史
2011.3.24

年前から古代史ブームが続いているそうな.歴女なるものも登場して久しい.どこかの新たな発見発掘で一般公開・説明会などが催される.その様子をニュースなどでみると,相当数の女性の姿が映し出されるのが何よりの証拠だろう. 学校で教わる歴史は退屈であり何しろ年代を暗記するのに途方もない労力が割かれたり,まあ楽しい授業とまでは言えなかったような気がする.私自身最も嫌いな科目でもあった.かつて歴史に興味を持つのは,例外はあるとしても概ねリタイアした中高年男性と相場が決まっていた.
十年前に,松本清張,高木彬光や黒岩重吾といった推理小説・社会派小説分野の作家が古代史を題材にした小説を次々と発表,同じようなブームがあったと記憶している.中でも高木彬光の‘邪馬台国の秘密’は出色の作品であり,私でさえももこの本をきっかけとして邪馬台国論争に少なからず興味を抱いたものだ.江戸時代から明治そして現代まで論争が繰り広げられ,未だに決着のつかない日本歴史上最大の謎といえよう.私なんかは,全くの素人だから九州説の先生の本を読むとそうかなと思い,ヤマト説を唱える人の本を読むとうーンなるほどと思ってしまう.ま,しかし大規模古墳の分布状況や近年の纏向遺跡そのほかの発掘状況をみると,私自身奈良県民ということもあるが,間違いなくヤマトだと確信している.
くわからないのは,邪馬台国とヤマト王権との繋がりである.古事記では後にカムヤマトイワレヒコ(神武天皇)と号される王が桜井・三輪山の辺りの地元勢力を征服して,磐余の地に王朝を築くと記されている.神武の存在の是非はともかくも,何かしらそのような事実はあったのだろう.また信仰される神々も後年整理され,三輪山を頂点とする系譜からアマテラスを頂点とする体系につくり変えられたようである.大神神社をはじめヤマトの神々は概ね ‘ 出雲 ’=‘ 根の国 ’ 系の神にされ,アマテラスをトップとした高天原系の神々と分けられたとも聞く.
一体全体邪馬台国はどういう経緯をたどっていったのか.わからない.箸墓古墳をはじめとする宮内庁管理の墳墓の発掘が許可されれば,山積された多くの謎を解くことになるとは十分に想像されるのだが...魏から卑弥呼に贈られたとされる‘親魏倭王’の金印でも出てくれば一発問題解決なのに.

五月連休
2011.5.8

の連休を利用して,自転車で身近な古墳を巡り歩いた(走った).先ずは河合町の大塚山古墳,川西町の島の山古墳.日を改め佐紀楯列古墳群の西ブロック孝謙(称徳)天皇陵,成務天皇陵,日葉酢媛皇后陵,東ブロック磐之媛皇后陵,小奈辺陵墓,宇和奈辺陵墓.また日を改め橿原・明日香の孝元天皇陵,見瀬丸山古墳,欽明天皇陵,天武持統天皇陵といった具合である.
れらのうちお気に入りのスポットの一つは,佐紀楯列西ブロックである.近鉄西大寺駅やイベントで賑わう平城宮跡からさほど遠くもないのに,人影も少なく静寂さに包まれている.古墳群と呼ばれるところは多々あるが,大型の前方後円墳がこれだけ近接して存在するのも珍しいのではないか. まるで異次元の世界にはまり込んだような感じと言ったらいいか. たまの散策によいのでは.次には,見瀬丸山古墳,日本第6位奈良県最大規模だそうだが,天皇陵に比定されていないため,後円部の一部を除き自由に立ち入ることができる.前方部に上ってみたがその大きさに驚く.一説(通説か)にはこれが欽明陵らしく,そうなると現欽明陵は曽我稲目の墳墓ではないかともいわれる.
シーズン明日香は二度目だが,今回は時間も十分あり飛鳥川を遡行して稲渕,栢森へ行くこととした.稲渕は明日香の原風景に近いのだろう,棚田が美しく,空気が綺麗で川風が爽やかであった.ついでに意を決して古道芋ヶ峠を目指した.栢森の村外れから芋ヶ峠までは約3km,標高が270m,487mで標高差にして217mだから,約7%ほどの勾配である.ま,何とかなる.
石舞台古墳のある祝戸から栢森の入り口までの適度な登り道をおっとり走っていると,風のごとく追い越して行った人がいた.やっとの思いで芋ヶ峠に着き,高取山への尾根筋に少し入ったところで休憩を兼ねて吉野川方向の景色を眺めていたところ,同じ人が吉野側からやって来て軽々と峠を越えて明日香方面へ下って行った.往復しているのだ.実はその翌日,落とし物を探しに今度は車で稲渕の集落手前まで行って,徒歩でコースを歩いてみたが,何人かのサイクリストを見かけた.格好のヒルクライム練習場になっているのか.なかに大阪から走ってきた68歳の人もいて,しばし談議に花が咲いた.壺阪峠越え吉野への下り道にも似た,川沿い杉木立に包まれた静かな道である.

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現日葉酢媛,成務・称徳天皇陵の狭間

クリックで拡大丸山古墳の前方部より後円部を望む

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明日香村稲渕の棚田

 

 

週末の雨
2011.6.18

梅雨の季節,連日の雨.それは仕方ないとしても,週末が雨との予報があると誰しも気分的には憂鬱なものだろう.ただ何となくホッとする面もある. 土日祝日に打ち合わせの予定が入った場合もまた然り.
晴天の予報ならば実に嫌なもので ‘ なんでこんな良いお天気の日に ’ となるが,雨だったら ‘ ま,いいか仕事にするか ’ となる.これが好天気で仕事の予定もないとなると大変.日頃できないことや時節的に今やらねばならないことがびっしりとあって,あれもせねばこれもせねばという具合にがんじがらめになってしまう.
れが,雨だと一気にそれらから解放されるわけだ.木々の剪定や,ペンキ塗りなど外仕事ができない.ツーリングにも行けない.バイクや車の整備もできない.だから家に引きこもらざるを得ない.つまり自分自身の全くフリーな時間を持てることになる.水割りなどやりながら本を読む,或いは雨の音を聞きながらボーと過ごす...
夕刻に雨があがれば上々.なんというか雨後の匂い,空気の清々しさ,辺りの静謐さ,あるいは緑の麗しさ等々を感じるのはこういった時である.この時期,ビヨウヤナギが可憐な花を咲かせるのも,アジサイと並んで梅雨時の数少ない楽しみの一つである.こんなわけで私にとっては週末の雨もまた良しなのである.

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我家のビヨウヤナギとアジサイ

 

スイッチ
2011.6.18

スイッチと聞くと先ず普通に思い浮かぶのは,家電製品の ‘ ON-OFF ’ のための器具ということになろう.私の子供のころは,練炭火鉢や炭火の炬燵を使っていたくらいだから,家電製品といってもラジオとアイロンくらいしか無かった.なので ‘ 電気を入れて ’ と言われると主に ‘ 電灯(今では照明器具というべきか)を灯して ’ という意味になる.
しかし,裕福な邸宅と違って一般庶民の家では今のような壁付きのスイッチというようなものはなかった.部屋には天井からぶら下がった電灯があり,電球のソケットに仕込まれたスイッチを捻って(回転させて)入り切りした.だから小さいころは何か踏み台に乗って操作したものだ.紐を引っ張ることで点滅できるモノもあったとは思うが,いずれにせよ扉の横にあるスイッチとは縁遠いものである.そういえば‘スイッチを捻る’という言葉も死語になったようだ.かつてのスイッチは何らかの回転運動を伴ったが,今やすべてのスイッチがプッシュオン・プッシュオフである.従来からあるシーソー型のスイッチもそのうち姿を消すことだろう.
コンセントもまた然り.壁付きのコンセントなどもなく,天井の電球を外して捻じ込み型のコンセントを嵌め,それにプラグを差し込んでアイロンなどの電気器具を使っていた.これでは不便とタタミをめくって床板を外し,2本並行した露出の銅線から半田付けで電源を取り,露出コンセントを設えたこともある.今から思えば怖い話である.ヒューズが切れるのは日常茶飯事,取替は子供の仕事でもあった.そんな時代を過ごしてきたことから,壁に仕込まれたスイッチというのは,長らく憧れであった.
の私は設計業務を通じて照明計画やスイッチの位置なども立案する立場上,その知識は一般の人々に比べれば豊富である.が,驚くのはその進化である.特に松下幸之助以来の伝統を持つパナソニックは凄い.従来からあったパイロットランプやホタルスイッチ,消し遅れスイッチからさらにさらに,多機能スイッチと称し ‘ かってにスイッチ ’ ‘ とったらリモコン’ ‘あけたらタイマ ’ などなど,‘ ふうーん ’ と感心することしきり.やり過ぎの感がなくもないが,価格もそこそこ,省エネにもつながるし,お年寄りにとっても日常生活にプラスなのかな...
いずれにせよ隔世の感がある.

残さない
2011.7.11

学生時代,第2外国語として仏語と独語を選択したのだが,仏語を教えていただいたのは阿部哲三先生である.独特のキャラクター,熱い授業,毎週のユニークなテストと厳しい添削などなどで,1,2回生の初級段階としてはまあまあの,独語の授業に較べれば格段の習得ができていた.が,3回生になってからは先生も変わり急に難しくなり,生来の語学嫌いも出てきて,結局は外国語劣等生になってしまった.以来数日間の欧州旅行の折を除いて,仏語とは縁のない生活であった.
阿部先生が退官されたのは卒業後23年を経た1991年であった.その後もお隣のノートルダム女子大で教鞭をとられ,名物教授として慕われたと聞く.先生が退官される最後の講義に出席させていただいたのだが,内容は全く覚えていない.義太夫節を披露されたことと ‘ 私は何も残さない’ という言葉だけが印象に残っている.その後折々にその意味を考えてはみたが,正直よくわからないままであった.昨年,山本兼一が書いた ‘ 山岡鉄舟 ’ の伝記小説(命もいらず名もいらず)を読んでそうかと思い至った.名を揚げる―のは,所詮,他人の評判を気にすることであろう.そんなものに拘っていては,人間の器が小さく縮こまってしまう.とあって,当時の武士の世界の‘名を惜しむ残す’という思いとは大いに違う.先生が意味するところとは違うのかもしれないが,自分なりに納得してしまった.
先生のことを調べていて2007年に叙勲を受けられていることを知った.先生が帝塚山学院の同窓会誌に書かれていた次の言葉がそのお気持ちをよく表しているように思えた.

秋のこの度の叙勲、身に余る光栄と思います。 と、ともに正直、戸惑っております。
来春、八十路にさしかかろうとしている私は、省みて、今まで何をしてきたのか、なにか世間に役立つこと、人を倖せにすることなど、このような栄誉に値する生き方をしてきただろうか、内心、忸怩たるものがあります。成人してより今日までの六十年のあいだ、黒板と白墨(チョーク)だけで、フランスの国語を同胞に確かりと教え続けてきた、それだけであります。
Enseigner, c'est apprendre deux fois. 「教えることは、二度習うことなり」 というフランスの諺があります。この箴言の道理を実感する私は、仏語教師として黒板を背にしながら、本当は、ずっとフランス語を習い続けてきたような気がしてなりません。いただいた勲章は慥かに煌いていますけれども、よく観れば、彩り光っているのは表面だけで裏は材質の金属のいろ一色。つまり、如何なる勲章・メダルもその光は反射光でしかありません。蝋燭の焔のようにそれ自体が光を放っているわけではない。光の源は其処にではなく他所に有る筈です。他所とはどこでしょうか。私の場合、その光源は黒板とその前に立つ私に注ぐ受講生の真剣な眼差しの光ではありますまいか。考えてみると、私の喜びの気持ちをいちばん最初に分かち合いたいのは、教室というささやかな空間を共有して偕に勉強した、あるいは、なおしている学生たちに他なりません。
(中略)
叙勲の機に一言、と同窓会よりすすめられ、吾れにもあらず独り言のような粗文を綴ることになってしまいました。一笑のうちに読み捨てていただければ倖甚と存じます。
(帝塚山学院同窓会会報より)

2011年
2011.12.10

つぶやき ’ は7月以降空白が続いてしまい,今年も終わりに近づきつつある.ネタ切れもあるが,初秋に入るころから持病で体調を崩したこともあって,書くことが億劫になっていたこともある.
返れば今年は実に昏迷の年であった.3月に発生した未曽有の大災害と原発事故,昨年末から始まったジャスミン革命に続くアラブ諸国の民主化闘争,ユーロ諸国の経済混乱,恒例となった首相の交代などなど,今も国内外ともにリスキーで不安定不確実な世が続いている.最近ではロシアの選挙をめぐる大規模なデモもある.思うに,今やこういうことがごく日常的な時代なのかもしれない.それならそれで先の見えない時代だとあっさり認めて,過度な悲観に陥らなくてよいわけだ.とは言うもののなかなか...
体調が悪い状況も日常的になりつつあって,そんな中でも秋口にロードバイクを買換えた.今まで使ってきた ‘ GIOS ’ に不満はなかったのだけれど,ま,少しでも楽に早く走れるようにとのささやかな願いを込めて,フルカーボンボディに替えた.カーボンモデルなら ‘ TREK ’ と決めていたのだが,狙いは ‘ Madone4.7 ’ という最も売れ筋のものである.たまたま立寄った大阪のストアにその型落ち2台が残っていて,うち1台がぴったりサイズであったのに心が動かされた.
い買物なので,すでにデヴューしていた2012年モデルと比較しつつ1週間慎重に考えて決めた.価格差はもちろんだが旧モデルは新モデルよりもコンフォート系に振っていて,ロングライド向き.カラーリングも旧モデルのほうに分がある.といったことが決定打となった.
実際に乗ってみて実感した―路面の振動をよく吸収するので快適で疲れにくい,滑らかな走り出し,平坦地は速くて軽快,登りも意外なほどよくこなす.まぁー,高いお金を出した以上そういうことにしておこう.やはり値段相応のものなのだと.
の後週末に雨が集中したことと,体調の悪さもあって試乗からこれまで230km程しか走っていない.奉拝し残している御陵―舒明 押坂内陵,崇峻 倉梯丘陵,崇神 山辺道匂岡上陵・景行 山辺道上陵,安康 菅原伏見西陵,開化 春日率川坂本陵,光仁 田原東陵を2回に分けて廻り,綏靖 桃花島田丘上陵,神武 畝傍山東北陵を最後に奈良県内にある奈良時代までの天皇陵巡りを一通り完了した.
来春の目標は大阪府下にある古墳群・天皇陵としよう.太子町にある敏達,用明,推古,孝徳陵は既に訪れているので,目指すは古市羽曳野と百舌鳥古墳群となるか.
GIOS ’ は我家では置き場所もないので,オリジナルの形に戻し消耗品を交換,綺麗に整備してヤフーオークションに出品した. 結果,善き人に買われて今は東京都内を走っている...ハズ.

手 帳
2012.1.29

年末年始にかけて書店の手帳・日記売り場が賑わいを見せるが,昔ほどでもないように感じるのは私だけか.
は手帳を使わなくなって10年ほどになる.社会人になって,毎年同じ手帳を使いだしたのは入社後3,4年目からであろうか.1981年まではある会社からの頂きものを使用していた.見開き1週間の少々分厚いもので持ち歩きには多少不満があった.仕事はデスクワーク主体なのでさほどスケジュールが詰るわけではない.ある時,一目で予定のわかる1か月見開きのなるべく薄いものをと書店で探した.結果,日本能率協会発行の丁度良いものが見つかり,その後2002年まで21年間同じものを使い続けた.厚さが5ミリ程度で長財布くらいの大きさなので上着の内ポケットにも収まりやすい.今もバリエーションを増やしながらも店頭にある.当時,システム手帳なるものが流行したこともあったが,あんな分厚くて重いものは私には論外の代物としか映らなかった.
大方の人にとって手帳は,予定表,備忘録,日誌,電話帳や住所録として使われていよう.私の場合は,無論予定は書込むが日誌・記録としての役割が主であったようだ.残してあるものを見れば日々の仕事上或いは私的な出来事,飲みに行ったメンバーや梯子したお店の名前まで子細に記入してある.それが2日に1回の割合だから驚く.
'96年にパソコンを購入して以来,当時の著名ソフトであったロータススーパーオフィスのオーガナイザーを日記代わりに使い始め,私にとっては手帳を使う理由の多くが無くなった.日誌として書き残す必要が無くなったわけだ.結局,これまで使った手帳の記事は2003年を境とし,ロータスオーガナイザーとMSエクセルに書き写し,データーとして保存することとした.邪魔になる手帳は破棄するつもりであったが,結局は表紙を剥がして合本して保管しているのだが,今でも意外と見直すことが多いのも事実である.
現在,携帯電話を使うようになってからは,予定とメモは携帯電話に,日々の様々な記録はエクセルで綴り,そのデータはクラウド上に保存している.この先は多分スマートフォンかタブレット端末を使って,最終データはクラウドとバックアップ的にPCハードディスクに保存することとなるような気がする.この半世紀,想像もできなかったメディアの変化を感じている.

スクラップ
2012.3.24

広辞苑によればスクラップとは, ‘ (破片・切屑の意)新聞雑誌などの切り抜き.また,それを切り抜いて整理すること ’ とある.
は,参考になりそうな新聞記事,保存しておきたい記事などを見つけたら,切り抜いて箱に入れるとか,所謂スクラップブックと称するものに糊で貼り付けたものである.クリアーファイルなんぞに保管したのはもう少し後になってからだ.雑誌や本では切り抜くわけにもいかないから,コピーをとって同じように保存した.しかしながら後で目的の記事を探し出すのが一苦労.その量が増えれば増えるだけ大変な手間暇が掛かり,場合によっては途中であきらめてしまうこともなきにしもあらず.目次のようなものを作っていれば別だが,最悪,記事そのものの存在をも忘れてしまうことにもなりかねない. だいたいスクラップした記事を分類すること自体が無理で,同じような内容をひとまとめにしようと,記事の順番を入れ替えるなんてことは気の遠くなるような話である.せいぜい分類表を作って関連項目のページ番号を記しておく程度のことが限界だろう.
ころが今や,パソコンとPDFという素晴らしい道具が登場して,そういった煩わしさが一挙になくなった.今や新聞・雑誌・書籍等の記事で興味あるもの,将来必要になるかなと感じたものは,全てスキャナーでコピー,PDFファイルとして保存するようになった.ジャンル毎の分類も自由自在だし,後々追加・編集・取捨選択も容易.数十枚に亘る文章・画像・図面を誰かに資料として渡す場合でもメール添付で一瞬にして送ることができる.郵便やFAXに較べて格安(殆ど無料)だし,郵便局やポスト(最近ではコンビニも)まで出向くこともなく,居ながらにして送れる.これほど便利な道具は未だ見たことがない.まさに ‘ アクロバット ’ だ.
現役で最前線にいる人にとっては常識のツールではあろうが,少々古い世代あるいはパソコンを使い慣れない人々にとっては,まだまだ敷居が高いのかもしれない. 最近では市販の家庭用プリンターの多くが複合機となり,わざわざスキャナーを用意することもなく手軽に電子データーファイルとしてコピー・記録・保存が出来る.
の場合,文字データに限らず曾て撮った子供の頃からの写真や趣味で録音した音楽テープなども,劣化と再生装置の故障もあって,ちまちまと殆ど全て電子データに変換した.今思えば昨年起こったような大災害に対しても,データーをクラウド上に保存しておけばその大部分を消失から免れ得る.思えばこれはすごいことだ.反面,情報流出のリスクもなくはないが.どっちみち大した情報でもないのだから早々に実行せねばと思いつつ...悩ましいことだ.

蘊 蓄
2012.3.24

うんちく ‘ 蘊蓄 ’ を広辞苑で引くと ‘ ものを十分にたくわえる.知識を深く積み貯えてあること.また,その知識.’ とある.
元々は悪い意味ではない.うんちくを傾ける.誰某氏うんちくを語る.などプラスイメージで使われる.ところが ‘あやつはうんちくを語りすぎるから’ となると,マイナスイメージである. ‘ あやつに聞くのもいいが,講釈が多いからなぁ ’ というのも同じ. 時代と共に言葉の使い方や意味が変わってきたのだと思うが,私流にそれはこういう意味かと考える.
本来自分の専門領域の知識を披露するのは蘊蓄ではなく,単なる専門知識であって当然知っている筈のもので,蘊蓄となるとやはり専門外の知識の豊富さを指した方が良いのではないか.卑近な例えでいえば地酒とかワインに関する知識などがその典型と言える.
なんぞはいろんなことに興味を持つものだから,ジャンルと底はしれてはいるものの,結構意外なことをよく知っているといわれる.が,世の中にはもっともっとすごい人がいるもので,ホーと感心するくらいの物知りがいる.世間で言う雑学博士である.これは特段悪いことではない.実は私も密かにそれを目指しているのかも.
問題はその知識の披露の仕方にある.聞かれてもいないのにやたらと仕込んだばかりの知識をしゃべりたがる人がいる.気持ちはわからぬでもないが,ここはやはりじっと我慢,時が来たら少しさわりを披露,求められればさらに詳しく説明するというスタンスが大事.加えてもっと大切なのは出所を明らかにすること.所詮は自分の研究や調査でなく,本やら何かから得た受け売り情報に過ぎないのだから. ま,このような立ち位置を守っている限り蘊蓄を披露するに,嫌な顔をされることもなく,仲間受けも良くなるのでは.

訃報に思う
2012.3.29

の訃報に接するのは心が痛む.そして不意に死というものに向き合うこととなる.昨年夏から近しい人が4人も亡くなっていて心泡立つものがある.自分が歳を加えていく分,廻りの人達も同じように年齢を上げていくのだから,これからもますます多くなり,そして次第に減っていく...
亡くなった人達は享年86歳の叔父を別格とすれば,大学の同期生と以前勤めていた会社の同僚だからほぼ私と同年齢ということになる.2010年の日本人男性の平均寿命は79.64歳だそうだから,まだ十数年も余命を残したことになる.
同期の建築学科生は30人,卒業以来45年ほど経っているが鬼籍に入った者が7人,2割を超えている.全員が施工・工事分野ではなく設計・監理を生業とし多くは個人事務所を主宰していた.やはりこの種の仕事に携わるものは相当なプレッシャーを受けるものと考えざるを得ない. 設計という仕事は世間一般の人は ‘ いいお仕事ですね.モノが残りますから ’ とおっしゃる.たまさか主人公を建築家にしたテレビドラマが登場したりして,世間的にはいかにも優雅で華やかなアーティスト的存在に写るのだろう.マスコミに登場するような所謂スター建築家は或いはそうかも知れないが,巷に溢れる多くの建築設計屋はそうではなく,その取り巻く環境は実に過酷といえる.
クライアントと扱う金額の大きさに対して負う重い責務と保証を考える時,我国においては社会的地位や評価や報酬が相対的に低過ぎるのも事実であろう.現実に景気低迷期に入って以降,数の多さもあろうが多くの設計事務所が廃業しているし,2005年に某建築士が起こした耐震偽装事件の底にある要因の一つであったことは間違いない.設計という仕事は真剣に対峙すればするほど,費やす時間も,かかってくるストレスも際限がない.ごまかしや偽りは論外としても,一品生産である以上部分的な失敗は常にあって,完璧な仕事なんてあり得ないのだ.せめて設計業全般の社会的な評価が仕事に見合ったレベルにまで高まって欲しいと思う.