学生時代,第2外国語として仏語と独語を選択したのだが,仏語を教えていただいたのは阿部哲三先生である.独特のキャラクター,熱い授業,毎週のユニークなテストと厳しい添削などなどで,1,2回生の初級段階としてはまあまあの,独語の授業に較べれば格段の習得ができていた.が,3回生になってからは先生も変わり急に難しくなり,生来の語学嫌いも出てきて,結局は外国語劣等生になってしまった.以来数日間の欧州旅行の折を除いて,仏語とは縁のない生活であった.
阿部先生が退官されたのは卒業後23年を経た1991年であった.その後もお隣のノートルダム女子大で教鞭をとられ,名物教授として慕われたと聞く.先生が退官される最後の講義に出席させていただいたのだが,内容は全く覚えていない.義太夫節を披露されたことと ‘ 私は何も残さない’ という言葉だけが印象に残っている.その後折々にその意味を考えてはみたが,正直よくわからないままであった.昨年,山本兼一が書いた ‘ 山岡鉄舟 ’ の伝記小説(命もいらず名もいらず)を読んでそうかと思い至った.名を揚げる―のは,所詮,他人の評判を気にすることであろう.そんなものに拘っていては,人間の器が小さく縮こまってしまう.とあって,当時の武士の世界の‘名を惜しむ残す’という思いとは大いに違う.先生が意味するところとは違うのかもしれないが,自分なりに納得してしまった.
先生のことを調べていて2007年に叙勲を受けられていることを知った.先生が帝塚山学院の同窓会誌に書かれていた次の言葉がそのお気持ちをよく表しているように思えた.
秋のこの度の叙勲、身に余る光栄と思います。 と、ともに正直、戸惑っております。
来春、八十路にさしかかろうとしている私は、省みて、今まで何をしてきたのか、なにか世間に役立つこと、人を倖せにすることなど、このような栄誉に値する生き方をしてきただろうか、内心、忸怩たるものがあります。成人してより今日までの六十年のあいだ、黒板と白墨(チョーク)だけで、フランスの国語を同胞に確かりと教え続けてきた、それだけであります。
Enseigner, c'est apprendre deux fois. 「教えることは、二度習うことなり」 というフランスの諺があります。この箴言の道理を実感する私は、仏語教師として黒板を背にしながら、本当は、ずっとフランス語を習い続けてきたような気がしてなりません。いただいた勲章は慥かに煌いていますけれども、よく観れば、彩り光っているのは表面だけで裏は材質の金属のいろ一色。つまり、如何なる勲章・メダルもその光は反射光でしかありません。蝋燭の焔のようにそれ自体が光を放っているわけではない。光の源は其処にではなく他所に有る筈です。他所とはどこでしょうか。私の場合、その光源は黒板とその前に立つ私に注ぐ受講生の真剣な眼差しの光ではありますまいか。考えてみると、私の喜びの気持ちをいちばん最初に分かち合いたいのは、教室というささやかな空間を共有して偕に勉強した、あるいは、なおしている学生たちに他なりません。
(中略)
叙勲の機に一言、と同窓会よりすすめられ、吾れにもあらず独り言のような粗文を綴ることになってしまいました。一笑のうちに読み捨てていただければ倖甚と存じます。
(帝塚山学院同窓会会報より) |