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桜と新緑
2009.4.21

造幣局の通り抜け ’ も今日までで,ここ関西では吉野山も含め桜の季節が終わろうとしている.生憎の雨となったがそれもまた風情というものかもしれない.今回は事情があって,曽我川や高田川への花見を兼ねたサイクリングが出来なかった.ま,この国ではどこでもいくらでも,花見の出来るところがあるので不自由はない.今年は開花時期が早かったせいか,メディアによる全国各地からの桜情報や,‘ あっちの桜が綺麗だ.こっちのが見事だ.’ と言ったブログなどで賑わっていた.確かに満開の桜で覆われた景色が美しいのは言うに及ばないが,昔4月初め,京都の大学に京阪電車で通学しだした頃,山崎近くの低い山並みの中に,数本の山桜(?)が咲いているのを見た印象が鮮やかに残っている.あたかも緑のベースにところどころエアブラシを吹き付けたかのように,淡いピンクがぼやっとにじみ出ている.淡い日差しの中ではなお一層引き立つように思えた.今でも時折同じような風景に出会うが,日本画を見るようでもあり,まさに ‘ 日本の景色 ’ なのだろう.
が葉桜に変わると次は新緑の季節.瑞々しい緑が匂い立つ.我が家のブナの木もこの1週間ほどの暖かさで,一気に葉が出揃った.毎年毎年繰り返される光景だが,枝ばかりの落葉樹に葉が茂り出すと,何となく嬉しい気分になるから不思議なものだ.庭木の数はさほど多くはないが,これからの薬剤散布や茂りすぎた枝葉の剪定を思うと鬱陶しくもなるのだが..物事全て表裏があるということか.
 

動画と静止画
09.5.12

動画が高い人気を博しているようである.‘ YouTube ’ などの動画投稿サイトが盛んに利用されるようになってから,特にその傾向が強まった気がする.少しサイトを覗いてみたことがあるが,今のところ画質も粗く,皆が騒ぐほど面白いと感じることもなく,時間を浪費しているような気もしないではなかった.
かなり以前からコンパクトデジカメにも簡単な動画撮影機能が付いていたが,最近では,ハイビジョンビデオを撮影できる一眼レフデジカメも登場している.ただ今のところビデオ専用カメラほどの機能は備わっていないようだが,いずれその垣根も無くなるかもしれない.私としてはそういう余分な(?)機能を無くして,価格を下げて貰いたい思うのだが...
言うのも,昔からスチール写真は趣味の一つであり,カメラも手頃なのを何台か買い換えたりもしたが,不思議なことに動画には全く興味を持たなかった.扇千景前参院議長の若い頃の ‘ わたしにも写せますっ ’ で有名になった8㎜の時代から,アナログビデオ,そして最新のデジタルビデオに至るまで,動く映像を記録することには全く無関心であった.ただし映画やドキュメンタリーのように作り込まれたモノを見るのはまた別である.
その原因がどこにあるのか.
思うに時間という要素が加わることが苦手であったのか.脳が多次元で捉えるよりも,2次元の組み合わせで捉えるような思考回路なのか.
撮影時はともかくとして,後で再生するとなると,以前なら部屋を暗くして映写機,今ではモニターテレビなどを用意して,その前に腰を据えて何らかの操作を経なければ見ることが出来ないという面倒くささ.スチール写真と違って気の向いたときに手軽に見るというわけにはいかない.
動画は見たままのモノに違いはないが,静止画はその切り取られた瞬時のシーンの前後にイマジネーションが拡がり,見る人によって様々な見方や解釈が出来る. こじつけかも知れぬが,活字 → 朗読 → 放送劇(ラジオドラマ) → テレビドラマ のような関係に似ているような気がしなくもない.
は変わるが,少し前,NHKの ‘ ラジオ深夜便 ’ で樋口一葉や芥川龍之介の作品を朗読で聞いたことがある.語り手が上手だったのであろう,活字で読むより印象が深まる気がした.特に樋口一葉は江戸文学を少々引きずっているそうで,文体も古く読みづらいように思うが,朗読として聞くことで江戸の名残,情緒的な拡がりがより分かりよく,より豊かに感じられた.ラジオ番組といえばパーソナリティものやバラエティものが多いけれども,子供の頃によく聞いた放送劇や名作の朗読に特化した番組も少しはあってよいのではないか.
 

土地勘
2009.6.19

は奈良県内の三郷町というところに住んでいる.大きい最寄り駅はJR王寺駅となる.
小学生の頃から地図を眺めるのが好きであったので,今でも世界中の地名は比較的よく覚えているほうだと思う.なので当時から ‘ 王寺 ’ という地名はよく知っていた.大阪市内の住人にとっては途方もなく田舎というイメージを抱いていたのだが,どうしてそんなところに居住することになったのか.
が育ったのは大阪の上六界隈で,自立するまで20数年過ごした.小学校,中学校,高等学校は徒歩10分以内で通える距離にあり,転居の経験がない. 当時のクラスメイトは地元の者以外上本町発の近鉄沿線の住民が多かった.
行動範囲は天王寺から心斎橋あたりまでで,大阪の船場から北は大阪駅周辺を除いて未知の土地であった.大学は京都ではあったが,つきあう友人たちは相変わらず大阪の南側の住人だった.社会人となってからも職場は本町4丁目で自宅から30分で通勤出来た.当時の住宅地は阪神間,千里,豊中,宝塚,香里園,枚方といった阪急,京阪沿線が主流.だから飲み会などの後,南方向へ帰るのは私一人ということが多かった.
結婚して社宅に入居する折も,大阪市内の良好な住宅地である阿倍野区北畠を選んだ.周辺状況が容易に想像できるし,何よりも距離感が短いからだ.見知らぬ土地は同じ距離であっても遠くに感じてしまう.特に奈良は生駒山の遙か向こうというイメージがあって,ずいぶん遠いところと思われているようだ.宅地の購入を考え始めた折,新聞広告や折り込みちらしは,現在の居住地が中心となるから,どうしても天王寺,上本町からの沿線のものが多くなる.結果,たまたま広告で見た開発地の現地抽選会で当たってしまったところに居座ることと相成った.やはり特別な事情のない限り,土地勘のあるとろこへと移動するものとみえる.
大阪から奈良方面への鉄道ルートは,近鉄奈良線,大阪線,南大阪線,JR関西本線,片町線があるが,奈良公園を中心とした奈良市中心部に入るには,近鉄奈良線が最も多くの人に利用され,便利であろうと思われる.かつて子供の頃は上六からよく乗ったものである.広々とした河内平野のど真ん中を東進し,生駒山の裾野を北へトラバースして高度を稼ぎ,石切から生駒トンネルに入る.トンネルを抜けると生駒市となる.ここから学園前にかけては,近鉄の手で古くから開発された老舗の住宅地である.対して関西線はどのJR沿線もそうだが,最近になってようやく住宅開発が進んだため,まだまだ長閑な風情を残している.特に河内から奈良盆地へ抜ける辺りは,生駒山系と葛城山系の間を抜ける狭隘な谷筋を大和川と絡むように進む.実に楽しめる景観といえる.この間4回大和川と交錯し,短いトンネルを4カ所くぐる.ちょっとした旅行気分だ.この後王寺駅の前後で再び大和川と交錯し,富雄川や佐保川と絡みつつ奈良市中心部へと向かう.
 

餅とウイスキー
2009.6.19

昨年春,夜中の急な胃痛にあわてて病院に駆け込み,結果,胃潰瘍と診断された.以来約1ヶ月,禁酒摂生に努めやや症状が改善した.丁度その頃同窓会や,懇親会が重なり,ドクターに相談したところ潰瘍はストレスが原因だから酒は大いに飲んでよろしいとお墨付きをいただいた.恐る恐る飲み始めてみたが,特段なんと言うこともなく,その後は安心して少しずつ晩酌を始めた.結局再び悪くなり,また摂生し,を繰り返し,そのまま症状を引きずって約1年.どういう訳かこの春頃にほぼ以前の状況にまで戻った.
ただ手をこまねいていたわけでなく,その間自分なりに飲み方は工夫をした.
先ず酒量を減らす.これは当たり前のこと.
む前に,飯を食ってお腹を満たし,その後ゆっくりお酒をいただく.
当然ビールや醸造酒は美味くないから止めて,蒸留酒にした.
その後ある時,知人から梅酒を食事の前に飲むのが良いと聞き,たまたま頂き物の上等の梅酒があったことも重なりこれをやり始めた.生のままでは少々甘ったるいと思い,シャンペングラスに梅酒を入れ,ソーダ水で割った.色といい泡の出方と言いまさにシャンパン気分.今も続けている. こうなると,結果飯を食わなくなり,このままではイカンと思い至った.
なる工夫.
季節柄,正月用の餅があったので,これを直火で焼いてさらに醤油だれで付け焼きし,海苔を巻いて‘磯巻き’にして食したところ,ウイスキーのソーダ割り~所謂ハイボール~のアテに丁度よい.餅米もコメに違いはないのだから,よいではないか.
いうわけで,我が家では,梅酒とウイスキーと炭酸水と切り餅が欠かせぬものと相成った.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

曽我川~吉野川
2009.7.19
2009.8.25
2009.8.26
2009.11.2

畝傍山の西に橿原市の大きな運動公園があり,曽我川はその西を流れている.近鉄南大阪線坊城駅の辺りである.この公園の駐車場まで自転車を運び,ここから川沿いに南下する.JR和歌山線掖上駅に出て,ほぼ線路沿いに進み吉野口駅に至る.この駅はJR西日本が管理する近鉄との共同使用駅になっている.そのため近鉄の駅名標もJR様式のものが使われている.駅舎やプラットホーム上屋は木造で,古い時代の国鉄ローカル駅 ~ 割と広い待合室が改札のすぐ横にあって列車の到着時間まで改札しない ~ の典型的なつくり.
この辺りで曽我川は二手に分かれ,本流は和歌山線沿いに重阪(へいさか)まで遡る.北宇智辺りが吉野川水系との分水嶺になる.もう一方は近鉄吉野線方向に国道309号線に沿って遡る.標高240mの車阪峠まで短い距離を登ると,後は吉野川に向かう急な下り.海と川の違いはあるが,林芙美子の放浪記「海が見えた.海が見える.」の心境!とまではいかないのが少々残念.
し上流の下市口から対岸に渡り,左岸の県道39号吉野五條線を和歌山紀ノ川方向に走る.交通量が少ない上景色がよく,木の香り漂う快適な道である.吉野川は激しい浸食でできたのであろうか岩場が多い.要所には岩と瀬の親水公園もある.降りて川に入りたかったが,時間が許さない.川の蛇行で道は再び右岸に渡り,五条駅手前で帰り道国道24号線に入る.JR北宇智駅までは緩やかな登り.北宇智駅は2年ほど前までスイッチバックで運行していたが廃止になったらしい.駅から西へ1km程のところに ‘ 有形文化財藤岡家 ’ がある.以前ここを経て金剛山麓の西佐味中之線,御所香芝線ルートで帰ったことがあるが,最高所で標高360mあり帰り道には少々きつい.
手前から県道120号五條高取線に入り,JR和歌山線に沿って高田駅方向に進む.所々道幅が狭くなっていて大型車の通行ができないため,自転車で走るにはちょうどよい.重阪付近で再び曽我川に出会い,崖上の近鉄薬水駅を右に見上げ,吉野口駅まで戻る.橿原運動公園からの往復だと休憩を入れて3時間半,およそ50㎞ほどの行程になる.今度は吉野川に入れるよう,もう少し早く出発しようか.
          ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ひと月ほど後,藤岡家と吉野川を再訪した.このときは河原に降りたが少々雨模様で,顔と手足を川水で浸して早々に引き上げた.
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吉野口駅 クリックで拡大
吉野口駅-JRとも近鉄とも表示がない
北宇智駅 クリックで拡大
ほんとに小さなJR北宇智駅(無人駅)
スイッチバックの痕跡 クリックで拡大
右手にスイッチバックの痕跡が見える
崖の上の近鉄薬水駅 クリックで拡大
崖の上の近鉄薬水駅
藤岡家 クリックで拡大 藤岡家 クリックで拡大 吉野川 クリックで拡大
藤岡家と吉野川中流の風景
吉野川 クリックで拡大 吉野川 クリックで拡大 吉野川 クリックで拡大


2009.7.27
2009.7.31
2009.8.26
2010.8.3
2010.11.6
2017.1.26

では,サイクリングルートはその日の気分で決めることも多いのだが,始めた頃は先ず地図を見ておおよその距離を測り決めていた.けれども実際に走ってみると予想外の高低差を実感する.一つの川筋から隣の川筋へ移る場合,程度の差はあれ丘越えになるし,山裾の道などは尾根筋・沢筋を横断することになるからアップダウンが激しい.未体験の道で地図上等高線を密に感じた場合,あらかじめ峠らしきものがあるかないか調べてみる癖が付いた.私の場合標高250mを越えるとややきつく感じ,事前に標高差や勾配を当たっておく.今は実に便利なことに電子地図で標高は即座に割り出せ,距離も積算できる.だらだら坂か急峻な坂かイメージできるし,適当な休憩場所も設定できる.
にとって峠は少しばかり身近なものになったが,車社会の今では昔ほどの意味をなさないのかも知れない.かつて歩くしか交通手段のなかった頃は,様々な意味を持ったであろう.今まで登ってきた道を振り返る.やれやれ,やっとここまで来た.これからは下り道だ.ちょっと一服,ということで茶店も繁盛する.峠は地域風土を分ける.ある時は国境(クニザカイ)であったりするから,その先は異郷の地となる.その地を治める神々も変わる.一種の結界的役割も担ったであろう.旅するものにとっては何かしらの感傷も伴うわけだ. かつては交通の難所であったところも少なくないが,今では峠のあった旧道の横に新たなトンネルが設けられ,わざわざ峠道を通行することも少なくなった.
の名前は姿・形を表していることが多い.たとえば大雪山,白山,剣岳,槍ヶ岳,白馬岳.信仰の対象でもあり威厳に満ちている.対して峠はコルとか鞍部と呼ばれるところにあり,遠くからの展望にもピークに対して脇役に徹している.人々が往還することから,日常的で親しみやすい名が付けられているように思う.峠の名で思いつくのは,碓氷峠,三国峠,十国峠,天城峠,大菩薩峠,安房峠,野麦峠など.概ね関東を中心としたところが多いが,何のことはない物語や歌の舞台なる所以か.‘ 峠 ’で検索すれば,あるある ‘ 日本の峠一覧 ’ なるサイトがあり,都道府県別にきちんと整理されている.それも参考に,ヤマト盆地につながる道にある峠で主なものを拾ってみた.
の京都へのメインルートは木津川に沿うから峠はない.が,木津川に至るには古来より奈良山越えと歌姫越えの二つの道があったそうな.前者は般若寺から奈良阪を越えるルートで, 吉川英治 ‘ 宮本武蔵 ’ にも出てくる.後者は後に平城京朱雀大路となる下ッ道を北に佐紀楯列 (さきたたなみ) 古墳群の中を抜けて現在の平城ニュータウンから木津に至るルートである.何れも100m前後ほどの標高で ‘ 峠 ’ というよりは ‘ 坂 ’ という感覚に近い.この峠は大和と山背の国境ともなり,かつて近江京への遷都の折り,いよいよ三輪山が見えなくなろう時の歌 ‘ 三輪山をしかも隠すか雲だにも情あらなも隠そうべしや ’ 額田女王 にあるように,この辺りから三輪山が見えるのか,ふと疑問に思い ‘ カシミール3D ’ で確認してみた.結果,なにも遮蔽物がなければ,笠置天理の山々につながり遙か遠く大和三山もともに見えるようではある.
生駒山系では北から清滝峠(R-163)249m,暗峠(R-308)455m,鳴川峠401m,十三峠426mと続き大和川となる.その手前信貴山の麓で,三郷町から柏原市に向かう大和川北岸沿いに細い峠道があり,辺りは峠という地名になっている. 竜田道とか竜田越え奈良街道と呼ばれ,斑鳩と難波を結ぶ古道だそうな.大和川南岸には国道25号線が走るが,さらに南に屯鶴峰を挟んで長尾街道(R-165)と太子道が交差するように葛城と河内を結んでいる.それぞれ田尻峠 118m,穴虫峠 144mと緩やかな峠が並び,その南は二上山で葛城山,金剛山へと連なる.
金剛葛城山系は,さすがに標高の高い峠が多い.二上山から南へ竹内峠(R-166)288m,平石峠378m,水越峠(R-309)516m,伏見峠981m,久留野峠895m,千早峠782mと続き吉野川に至る.
御所・高取町辺りから吉野川へは,西から風の森峠(R-24)258m,車阪峠(R-309)226mがあり,標高は低い.
明日香・桜井から吉野へは,芦原峠 (R-169) 307m,壺阪峠 367m,芋ヶ峠 487m,竜在峠 720m,宇陀方面へは大峠 772m,小峠 427m,女寄峠(R-166)387mがあり,宇陀から吉野の国栖へ宇多川・津風呂川に沿って関戸峠(R-370) 398m,入野峠 297mがある.
笠置山系では北から,月ヶ瀬街道柳生への道中(R-369)忍辱山町辺りが397m,石切峠 470m,鉢伏峠 437m,今は地図上には見当たらない500m級の七回峠,桜峠(R-25) 498m,竹之内峠 342mと続いて巻向山・三輪山を経て初瀬街道,初瀬川(大和川上流)で終わる.初瀬街道 (R-165)は桜井から榛原までは登り一方で榛原市街地直前に西峠347mがある.
このうち清滝峠,水越峠,芦原峠,女寄峠,入野峠にはバイパストンネルがあったが,最近大峠にもトンネルが出来たようだ.
          ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
先日,(といっても2010年7月のこと)明日香村からの帰りに曽我川の道で地図を見ていたところ,犬と散歩をしている人と出会い暫く話をした.私とは同年配だが,結構自転車での登坂を楽しんでいるとのこと.休み休み尺取り虫のように登るのだそうだ.
その人から聞いた情報.明日香石舞台古墳から東へ多武峰・談山神社への道が最近つながり,早速行ったとのこと.その後,最新の地図を買い,‘ カシミール3D ’ で調べたところ,石舞台から最高地点までの標高差が382m,その間の直線距離が4.844kmと出た.平均斜度にすると約8%だ.昔,車で桜井から寺川沿いの県道32号(多武峰街道)から談山神社に行ったことがあるが,かなりの急勾配だったような記憶がある.どうも無理なように思えてきた.行けるとすればこの多武峰街道ルートか. それにしても,先頃テレビ観戦したツール・ド・フランスの選手達のヒルクライムはまるで異次元の世界であった.
          ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
その後二度ほど桜井からメスリ山古墳や倉橋溜池を経て多武峰から明日香へ下ったことがある.
一回目の経緯は ‘ 再々峠 ’ に追記した.
 

ふたたび 峠
2009.8.7

‘ 峠 ’ で思い出したことがあり,これはその続き.
卒業後家庭を持つまでの5年間,年に2,3度一人旅をした.著名な建物を見学するのが主目的で,所謂貧乏旅だったが,観光も兼ねて見知らぬ街をひたすら歩いたものだ.奈良に移り住み3年ほど経った1985年秋の連休のこと,急に思い立って,上高地に向け車で一人旅をしたことがある.上高地は2度目で,最初は電車とバスで松本から入った.朝早く家を出たのだが渋滞が酷く,名古屋を経て156号線を北上,郡上八幡に着いたのが夕食時,158号線に入って高山着が深夜0時.何とか近郊スキー場の民宿に泊めてもらい,翌朝上高地に向かった.今と違い,平湯トンネルも安房トンネルも無い時代であり,標高1700mクラスの平湯峠・安房峠と二つの峠を越えた.私が通った2番目に高い峠ということになる.1番は渋峠標高2172m,これはスキーで.
158号線を上り詰め平湯峠に着いた途端景色が急展開する.峠から見た平湯温泉の町とその彼方に連なる北アルプスの峰々の印象が新鮮であった.後立山連峰は大糸線沿いに連なるスキー場からの景観しか知らず,その反対側から見るのは初めてで,雪が積もり始めた槍ヶ岳(と思うのだが)を遙か彼方に垣間見た.周りを北アの連峰に阻まれ簡単にはその姿を見せぬが,その後木曽の薮原スキー場から,遠望できたかのように思うのだが,違っているかも...
安房峠は車が数珠つなぎの大渋滞であった.一応オフシーズンにあたり,釜トンネルから上高地まで通行できた.帝国ホテルでサンドイッチとコーヒーのお昼を済ませ,河童橋まで往復,そのまま梓川に沿って松本に出て木曽路を急ぎその日のうちに帰り着いた.ほとんど車の中の旅であった.
余談だが,日本の最高峰の山々や峠を自転車を担いで夏冬問わず登っている人をサイトで知った.京都市出身で35歳の人である.すごい! 興味ある人は ‘ 自転車山岳縦走 ’ で検索してみてください.

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平湯から1 クリックで拡大
平湯の町から

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望遠レンズで

上高地帝国ホテル クリックで拡大
上高地帝国ホテル

収 納
2009.10.28

長年住宅設計の仕事を続けてきて,家族構成や敷地規模,予算などから居室の一般的なスペース配分はほぼ想定できるのだが,未だに判らないのは収納スペースである.これは個人差があり過ぎるようだ.設計を依頼される大方は住み替えか,立て替えになるから,現状の住まい方を観察させてはいただくのだが,概ねパンク状態である.最終的には仕分けし処分をお願いすることになるのだが,新居への引越し当初で既に満杯状態になってしまう.住み続ければ今以上にモノが増えるのは自明の理だから,ここから住まい手の性格が反映されることになる.
かつての知り合いに,押入の天袋にティッシュペーパーだのトイレットペーパーが,ぎっしり埋まっていないと不安で落ち着かないという女性がいた.限られた収納スペースなのだから,身近にいつでも手に入るモノは最小限にして,もっと大切なモノに振り向けたらと思いはしたが口にすることはなかった.
効率よく収納するにはそのスペースの7割くらいしか使えない.でないとモノが死蔵されてしまう.我が家のささやかな物入れも,当初は通路スペースを取り,両側にラックを設えて季節毎にモノを入れ替えるようにしていたが,ある日気が付くと扉の前までもモノに占拠されてしまっていた.こうなると何処に何があるのか判らない.それでも女房殿は器用に目的のモノを出してくるから恐れ入る.
元来,私はモノを捨てることに快感を覚える方だ.余分なモノが無くなり新たなスペースが生まれて,気分的にもスッキリするからなのだが,机の抽斗だと半分くらい,書棚などは少なくとも2割くらいの空きスペースがないと落ち着かない.衣服なども,流行り廃りに左右されないトラッドなものに決めて,季節ごとに数種類に決めてストックしている.サイズが合わなくなったり擦切れたりした折りには,同じ色柄の物を買って古い物を捨てる.3年間着ることの無かった物も思い切って捨てる.最近ではネットオークションなる便利な道具があるので,使わないモノを見つけたら即出品している.されど,このようにしていてもワードローブはいつの間にか埋まっていく.
女性の場合はなかなか難しいこととお察しするが,衣服に限らず雑貨小物類に至るまで,どうも同じような物をダブってお持ちになっていることが多いのではありませんか.流行とは全く無関係に,オーソドックスなものを長く愛用するのが今風ではありませんか.

丁 寧
2009.12.22

テレビ番組でのスポーツ選手のインタヴュー,
‘・・・と思うので,云々 ’ という言葉をずいぶん前からよく耳にする.誰とは言わないが女子ゴルフやサッカーの若い選手に多いようだ.ちなみに大リーグ松井秀喜選手はかなり丁寧な言い方をしている.
思うので ’は,‘ と思うのだ..なので ’といっている訳で,かの ‘ 天才バカボン ’ の言いぐさと同じではないか.思うにこれは書き言葉であって,書かれたものを読む場合はともかく,全国ネットで一般視聴者に向かって放つ言葉ではなかろう.せめて ‘・・・と思いますので,云々 ’ と言っていただきたい.
するに ‘ ございます言葉 ’ はかえって嫌みだけれど,その人なりにもう少々丁寧に話せば品位も上がるのになァと思うだけのこと.反感もあろうがございます言葉も慣れればごく自然に出てくるものである.私などは,それが癖になって建築主相手の場合は当然としても,学生諸君を前に講義をする時でもつい ‘ ございます ’ といってしまいそうになる.
左様でございますか ’ とスラッといえる人は現代では少なかろうが,これは言葉だけの話ではなく,普段の生活についてもいえる.人との接触の折りにほんの少し丁寧さを加えるだけで,お互い和やかなムードが生まれ,空気がゆるむ.電車やエレベーターの乗り降りなどにその典型を見るのは私だけではなかろう.
 

観察心
2009.12.22

めて言うのもおかしいが,日経新聞朝刊の最後のページは文化面になっている.以前紹介した小池 光氏の‘うたの動物記’はこの面の日曜日の連載だし,有名な ‘ 私の履歴書 ’ が掲載されている面であるが,私はその隣にある‘文化’ という表題の文章を読むのを楽しみにしている.テーマは種々多様で寄稿されているのは作家,歌人のようなプロの文章家をはじめ,様々な分野で活躍されている方々など多岐にわたっている.なかにはNHKテレビの‘熱中時間’を地でいくような方もおられ,‘ へぇー こんなことをやってる人もいるんや ’ という人や,思わず笑ってしまうようなものもあり興味が尽きない.
最近の寄稿のなかで,荒川洋治氏(現代詩作家)の ‘ 茶箱 ’ に我が意を得たような気がした.次はその一部抜粋.

目の前に突然何かを示されたときほど,自分の能力がためされる機会はない.目の前の物を,あるいは人をどう見るか.どこまでしっかり観察できるのか.それは人生の内容にもつながる.観察の心をやしなうことはたいせつだ.人の話をきいたり,読書をつづけていくのもそのためなのだ.(2009.12.20 日経新聞朝刊より抜粋)

この5年間,芸術系の大学で非常勤講師をした.1回生を対象に建築の基本的なところを教える授業であったが ‘ 常に観察し,美しい物を見たらなぜ美しく感じるのか,不具合を見たらなぜそうなったのか,頭を絞って考え,原因と答えを見出す習慣を身に付けるよう ’ というような意味のことを常々言ってきた.科学や技術の世界ではよく言われることではあるが,建築のような実学でも同じことである.建築の設計はいわば失敗の連続のようなところがある.完璧な設計などはあり得ないものだ.それでもこのような常日頃の小さな積み重ねが失敗を少なくしてくれると信じている.