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★最近の更新 2020.3.7“奈良の土手道 ”2020.3.8“リタイア" 2020.3.14”片道切符大回旅" 2020.3.15"ドメイン"

趣 味
2009.2 6
2009.2.11

,趣味の人と言われたことがある. 何かにつけ凝り性だったからだろう.趣味が実益を兼ねるということがある,ピアノやヴァイオリン,家庭菜園やDIYが代表的だろう.逆もある.つまり仕事が趣味ということだが,これは趣味を持たない人の方便だろう.同年の実業家で,布団の中までも算盤を片手に持って入ると言われる人を知っているが,ある時趣味がスキューバダイビングと聞いて驚いたことがある.人を上辺で判じてはいけない.
の場合趣味が実益になったためしがない.つまり一級の技量まで達しなかったということだ.若い頃から一貫して同じ趣味を続ける人もいるが,私の場合は年と共に変わってきた.我々世代の多くの男の趣味は魚釣り,写真機,オーディオということになろうか. 私の場合そのあと車,スキー,そして現在ロードバイクとなった.
えてゴルフはやらない.思うにメカ的で1人で出来るモノという傾向が見えてくる.要するに道具をいじることが好きなのだ.道具を揃えるにはお金がかかるけれども,それが道楽というものなのである.モノを買うことは充足感につながる.つまり趣味にお金を使うことそのものが趣味の第一歩なのだ.もちろんむやみやたらと高価なモノがよいのではなく,実力相応が好ましい.キダタロー氏は常々 ‘ ゴルフは道具である ’ と言う.これは冗談半分負け惜しみ半分と思うが,彼は決して超一級のクラブを持ったりしないだろう.勝てなければもう言い訳の余地は無くなるのだから.
お金を使わない趣味はあるだろうか.無いと思う. 碁・将棋は熟達までお金はかかるし道具にも凝る.散歩,ジョギングなどはストイック過ぎて,私にとって趣味とは言い難い. 要するにお金を使わない趣味というものはない.それは趣味とはいえない,と極論しよう.

自転車
2009.2.8
2009.2.16

スキーほど楽しい遊びはないと思った.ダイナミックな景色,1日の行動範囲の広さ,何より勝るスピード感,技量の奥深さと言った面で他を圧する.難コースに何度もチャレンジすることで技量の上達を実感できるのもよい.板や靴など何度か取り替え,費用はかかるものの,道具選びもまた楽しい.ただ,一人で出かけるより,やはり技量の揃った仲間と一緒のほうがより一層楽しめる.
体力の衰えにはそれなりの滑り方もあろうが,私の場合仲間がいなくなってくるにつれ,自然と止めてしまった.それでも飽きずに25年続いた. それから7,8年のブランクを置いて自転車を始めた.2004年秋である.新聞紙上にちらほらと自転車に関する記事が載るようになって,運動不足の解消のつもりで始めた.今は一種のブームか,休日などサイクリストを多く見掛けるようになった.
最初は入門クラスのクロスバイクであったが,以来ロードバイク2台,クロスバイク1台を乗り継いだ.現在は2台体制で最もよく乗るのは2007年モデルのイタリアン ‘ GIOS BALENO ’ である.中級グレードだがこれまでのモノに較べ驚くほど軽快に走り,メカの信頼性も充分にある. 地道走行とか用事で出かけるときは,スニーカーで乗れるクロスバイクにする. 概ね往復60㎞が私の通常のペースで,景色を眺め,季節を感じながらゆったり走行する.
性格的に汚れたまま乗るのは嫌なので,走行後は早めに汚れを落として保管月に1度は洗車と給油をする.パーツ類の交換もシーズン毎何度かやるが,ハンドルバーテープは必要もないのによく交換する.モノは安いが気分が改まって意欲が出てくるからだ.
費用について, これから始める人に一言.本体,小物類,帽子,シューズ,春・秋ウェア,メンテナンス工具類を合わせて25~30万円くらいの予算が必要だ. 技量と必要に応じ,2,3年かけて気長に揃えるのがよいと思う.私はそうした.

奈良の土手道
2009.2.11
2009.2.17
2009.4.14
2009.5.2
2009.7.18
2015.11.20
2017.1.26
2020.3.7

の住まいは,奈良盆地の西端信貴山の麓にある.1㎞も行かずしてもう大阪府柏原市である.
奈良盆地は東西15㎞南北30㎞とかなり小さなエリアなので,どこへでも自転車なら5,6時間で往復できる.この盆地は木津川を除き大半が大和川水系であり,奈良に移り住んで20余年,大和川に注ぐ様々な川の上流の景色を見てみたい,できれば源流を探ってみたいと思ったことが自転車を始めたもう一つの理由である.
大和川支流には大阪側には河内長野から富田林,羽曳野にかけて流れる石川という最大の川があるが,他に支流の数は少ない.古代より交通の難所であり,我が国有数の地滑り地帯である亀の瀬を経て,奈良側に入ると一挙に多くの川が注ぎ込む.
奈良には県の土木部が整備している大きな自転車道がいくつかあり,多くの方がWEBサイトを通じて紹介されている.私の場合はひたすら順番に川に沿って走った.川は大きな道標でもありこれに沿って進む限り迷うことがない.堤防上の道がほとんどだが,当然ながら急なアップダウンも少なく,道幅も狭いので車両交通が少なく走りやすい. 欠点は羽虫が多いことだ.
下流のほうから順次眺めていくと.
葛下川
JR王寺駅周辺を囲むように,この付近で大和川は北へ大きく蛇行しているが,そこに南側から流れ込む.源流は香芝,當麻町辺りと思われる.二つの流れがあり,どちらも道,休憩場所とも整備はされているが,景色は普通,コースとしても短く,王寺付近の一般道を挟み合流地点まで5㎞ほどである.
竜田川
在原業平の歌では紅葉の名所と言うことになっている. 紅葉や桜が美しいのは斑鳩町内で国道25号線竜田大橋付近から大和川本流までの間と思われる.源流は近鉄生駒駅の北辺りで,生駒市,平群町と南流し三室山の東側で合流する.
自転車専用道はなく国道168号線が併走する.近鉄元山上駅から東山駅付近は小さな峠になっておりちょっとした渓谷情緒を感じさせる.しかし数年前までは道幅が狭い上に走行車両が多く快適とは言えなかったのだが,バイパス道が開通してからは交通量が激減し走りやすくなった.
          ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
小倉百人一首に有名な業平の歌 ‘ちはやぶる 神代もきかず 竜田川 からくれなゐに 水くゝるとは ’ と歌われる竜田川はこの竜田川でなく,JR三郷駅あたりを流れ亀の瀬に至る大和川の古い呼称で,紅葉の名所とされたそうな(今では想像できないが).大和と河内・難波を結ぶ古道 ‘竜田道’ を往来した人々に読まれた歌が万葉集に数多く残され,また付近には竜田大社があり,‘たつた’ (竜田・龍田)の地名,三室山の名も残っている.
今の竜田川は以前は平群川と呼ばれていたそうだし,斑鳩町竜田川沿いの三室山も後から付けられた名前ではないか.
川の名称はところによって変わる.吉野川~紀の川,梓川~犀川~千曲川~信濃川のようなものである.大和川という名はいつ頃に名付けられたものか知らぬが,上流は初瀬川とも呼ばれ,川沿いにははせがわ展望公園とか長谷寺もある.


佐味田川
源流は馬見南辺りにあり河合町中央を北流して,そのまま大和川に注ぐ.
合流地点から真美丘陵公園まで約4㎞ほど川沿いに走れる.真美丘陵公園は数多くの古墳群を内包する広大な公園で,季節の花々が美しい.沿道の景色は一般的だが,山坊付近に気になる建築がある.‘豆山の郷’という福祉施設だが,高低差をうまく利用し,しっかりとしたコンセプトを感じさせる建物である.
富雄川
佐味田川の合流地点から東へ1㎞,富雄川の河口がある.西名阪自動車道法隆寺インターの辺りである. 源流は交野市・枚方市との境に位置する高山町北部の高山溜池,くろんど池に発し,生駒市,奈良市,大和郡山市を南流し,斑鳩町で合流する.
合流地点の御幸橋から国道25号線を横断,最近整備された右岸の自転車道を進む. 慈光院を経て外川橋までの約7㎞は河川敷内の奈良自転車道である.外川橋で右折するのが本来の奈良自転車道で,郡山城を経て秋篠川に入るが,構わず直進する.矢田丘陵を西に見ながら北へ伸びる一般道だが,道路整備が進みつつあり走りやすい.霊山寺,近鉄富雄駅を過ぎ,ならやま大通りまでは両岸2車線道路が続く. 国道163号線を横断すると高山地区だ.茶筅を売るお店が散在する.ここまでは緩やかな登りだが,高山竹林園辺りから溜池までは,中程度の登りとなる.直進でなく右に大きく湾曲するバス道をとったほうが楽である.くろんど池にはお店もあり,シーズン中はボート遊びやバーベキューを楽しむ人々で賑わう.
曽我川
富雄川河口から700mほど上流の左岸広瀬神社を越した辺りに河口がある.源流は御所市の南端,重阪(へいさか)辺りかと思われる.少し南側は吉野川との分水嶺になる.
高取町越智から先は未走なので,今シーズンは走破したいと思っている.ちょうど明日香村,畝傍山の西に当たり,のどかなところである.河口付近の御幸橋から県道王寺-田原本線までは専用道路で快走できるが,そこから曲川町辺りまで道路が途切れたり未整備であって迂回させられる.そこから南は走りよい.近鉄南大阪線を越した坊城周辺は両岸が見事な桜並木で,特に右岸は土手両側の桜でトンネル状になっている.人も少なく静かで,賑わいはないが穴場といえる.
高取町越智は近鉄飛鳥駅からは真西に丘を越えた辺りになる.ここから先曽我川源流への走行記を ‘ 曽我川~吉野川 ’に記す. 
高田川
曽我川の支流である.近鉄新庄駅の東側葛城山麓に発し, 曽我川の河口から1㎞強ほど上流で合流する.
河口からの道は近鉄田原本線の線路敷きで途切れる.真美丘陵公園の東側大野,寺戸辺りから土手道に入る.道はほぼ専用道の形で快走でき,途中休憩所も整備されている.JR和歌山線高田駅,近鉄大阪線と交差する辺りで道が途切れる.河川敷に下りれば線路下を通ることができる.この辺りは桜の名所であり,大和高田市の中心部に近いため,シーズン中は土手道から大中公園にかけて多くの屋台が出,宴を張る人々と見物客とでごった返す.近鉄新庄駅まで気持ちよく走行できる.
葛城川
この川も曽我川の支流であるが,全長25㎞と2次支流としては長い.金剛葛城山麓に源を発して北東方向から真北に流れ,高田川河口の少し上流で曽我川に注ぐ.
曽我川河口から第2浄化センターを回って飛鳥葛城自転車道に入る.真直ぐ南に向かう自転車道できちんと整備され走りやすい.飛鳥葛城自転車道は大和高田バイパスで左折し畝傍山方向に向かうが,川に沿って直進する.葛城市を経て御所市役所手前葛城公園に至る.水場もあり格好の休憩場所だ.さらに南下すると国道24号線に合流し源流地方向に向かうが,市役所より2㎞余り南,水越川で右折し一言主神社まで登り,九品寺など葛城古道を巡って高嶋神社に達するのがよい.並行して走る県道御所香芝線は道幅に余裕が無く交通量が多いのでなるべく避けたほうが無難である.
飛鳥川
飛鳥の都から吉野離宮への道半ば,高取山近辺芋ヶ峠付近を源流とする.祝戸,石舞台古墳,甘橿丘,今井寺内町を経て,大和の中原を北流する.広陵町付近で曽我川とかなり接近しそのまま並ぶように大和川に注ぐ.
大部分が大和中央自転車道となり,保田橋から橿原神宮まで専用道として整備されている.中間地点の三宅町矢部にある県営福祉パークは綺麗なトイレもあり格好の休憩場所だ.今井町のある八木西口駅,畝傍駅周辺は道路が輻輳するが,小房から飛鳥川へ出れば後は川に沿って甘橿丘まで一気に走ることが出来る.
寺 川
多武峰,談山神社付近が源流で,桜井市街地から西流し,新ノ口自動車運転免許試験場から国道24号線と並行して北流,大和川本流と飛鳥川の間を西北に流れて大和川に注ぐ.
大和川との合流地点に近い京奈和自動車道と交差するあたりで道路が途切れており迂回させられる.近くに古道の痕跡の残る筋違道(太子道)がありここを通るのもまた一興.市街地に近いところも多く生活道路的な側面もある.新ノ口から耳成山方向へ向かって南下すればすぐ明日香村に行き着く.桜井駅付近から多武峰にかけてはきつい登り坂となるが,外山(とび),忍阪(おっさか)から倉橋溜池の方へ大きく迂回するのも変化があって楽しめる.途中には舒明天皇陵,天王山古墳,崇峻天皇陵がある.談山神社に行くには御破裂山を取り巻く形で八井内の交差点を右折するが,その少し手前に不動延命の滝という結構な落差の滝があり,暑い時節は格好の休憩場所だ.もっとも八井内の交差点には広い駐車場と茶店があり,結局二度休憩することとなる.
2010年頃に談山神社から飛鳥への道路が通じたそうである.経緯は ‘ 峠 ’ に追記しておいた.
大和川本流(初瀬川)
名阪国道福住,都祁近くから南流し長谷寺から初瀬街道165号線に沿った開けた谷筋を西流,三輪山の南裾を巡って桜井に至る.広大な農地の中を西北に進み,大和郡山市,安堵町,川西町が境界を分ける辺り,浄化センターの三角州を挟んで佐保川と合流する.
浄化センター公園,庵治町付近から川沿いの道に出る.一般道だが左岸道路が綺麗に整備され車両の通行も少ない.はせがわ展望公園などの広場が随所にあり水場,トイレも整備されている.東の天理・笠置の山々を眺めながら走っているとまもなく三輪山,大神神社の大鳥居が見えてくる.JR三輪駅を経て大神神社へ,帰りは山辺の道を通って天理石上神宮に出るのもよい.どちらかと言えば逆コースをとったほうが楽だと思うが...本来はそのまま川沿いに進み,JR桜井線手前から三輪山を眺める.この角度からの姿が最も美しいとされている.
布留川
天理市東部の山中から,石上神宮の脇を流れて天理市街でいくつか分流し,大和川に注ぐ.天理市街地では目立たない川であるが,石上神宮から遡行する道はかなりの登りを強いられる.とりわけ天理ダムの直下から青垣湖 (ダム湖) までのヘアピンカーブの登りがきつい.ダム湖の奥は親水公園になっており,布留川が小川のように流れる.
佐保川
曽我川に次ぐ大きな支流である.安堵町の大和川との合流地点から見るとどちらが本流か区別が付かないほどである.春日山原生林から若草山を周り般若寺から新大宮,大安寺,大和郡山市内を南下浄化センターを挟んで大和川と合流する.
まだ整備途中らしく平端(ひらはた)から杏町(からももちょう)辺りまでは通行できない箇所が多い.大安寺西から東大寺方面にかけては概ね整備され,近鉄奈良線を越えると遊歩道的な設えになる.般若寺から川沿いに東進し円成寺(無料で鑑賞できる回遊式庭園が美しい),柳生へと国道369号線が続くが,これもなかなかのの登りである.帰りは笠置温泉まで一気に下り,木津川沿いに帰ることも出来るが,国道163号線は渋滞して走りにくい.
秋篠川
佐保川の支流である.学園前登美ヶ丘の大淵池から秋篠町,西の京を経て観音寺町付近で佐保川右岸に注ぐ.
左岸は郡山城から続く奈良自転車道として綺麗に整備されているが,道幅が狭く,観光地でもあり歩行者,サイクリストとも多く,一般道との交差箇所も多いのでやや走りにくい.薬師寺の二つの塔を望む景観は上々なので,のんびりと走るのがよい.
岩井川
白毫寺町高円山あたりを源流とし,そのまま西流して杏町辺りで佐保川に合流する.
周りは殺風景だが奈良公園,高畑界隈からの帰りには,国道24号線まで交通量が少なくスムーズに走れる.
土手道ではないが同じようなルートに,三島由紀夫の小説‘春の雪’に有名な門跡円照寺(山村御殿)から帯解を経て,JR郡山駅に出るコースもスムーズに走れる.郡山の商店街をそのまま直進すれば,富雄川外川橋に出る.
逆に帯解から円照寺(小説では月修寺)の ‘2本の石柱を立てただけの門 ’ まで, 清顕が聡子に会いに行く春雪の情景を思い浮かべながら走行するのもよい.今でも拝観はかなはぬが,平唐門までは砂利道の坂を登っていくことは出来る.

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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葛下川 クリックで拡大
右:葛下川河口 左:大和川本流
竜田川 クリックで拡大
左:竜田川河口 右:大和川本流

 

 

 

 

 

 

 



佐味田川 クリックで拡大
佐味田川河口 手前:大和川本流
富雄川 クリックで拡大
左:富雄川河口 右:大和川本流




曽我川 クリックで拡大
右:曽我川河口 左:大和川本流

 

 



高田川 クリックで拡大
右:高田川河口 左:曽我川

葛城川 クリックで拡大
後ろ:葛城川河口 手前:曽我川

 

 

 

飛鳥川 クリックで拡大
右:飛鳥川河口 手前:大和川本流

寺川 クリックで拡大
右:寺川河口 左:大和川本流


不動延命の滝

大和川本流 クリックで拡大
三輪山を望む大和川本流

 

 


布留川 クリックで拡大
左:布留川河口の一つ 右:大和川本流

佐保川 クリックで拡大
左:佐保川河口 右:大和川本流
中央は下水処理水排水口


秋篠川 クリックで拡大左:秋篠川 右:佐保川

岩井川 クリックで拡大
右:岩井川 左:佐保川

 


文章の情景
2009.2.11
2009.2.15

々文学青年ではなかったし,小説と言えば筋を追うような読み方しかしていないから,余り印象に残る小説はない.そんな私ながら小説中の情景が未だに残っているものがある.
に触れた三島由紀夫の ‘ 春の雪 ’ で清顕が月修寺に向かう雪景色の情景.
‘ 暁の寺 ’ でのワットアルンに沈む夕日とベナレスの赤々と燃える火の情景.横溝正史の ‘ 本陣殺人事件 ’ での事件発見のシーンと言った具合である.強烈な色彩を感じさせる文章力なのだと思う.とくに三島由紀夫の描写力には圧倒されて言葉がない.
簡潔な文章が好きである.なので,谷崎潤一郎は苦手で,吉川英治,司馬遼太郎,池波正太郎は大好きである.吉川英治の ‘ 鳴戸秘帳 ’ 冒頭の情景描写には,ついつい釣込まれてしまう.池波正太郎の情景描写もまた然り.
軽妙洒脱なエッセイ風文体が好きで,そのような一文を書ける人がうらやましくもある.先ごろ日経新聞に掲載されたコラムが気に入ったので,メモっておく.

うたの動物記 「キツネ」 小池 光 日経新聞 2009.2.8 朝刊きつねうどんを直訳すれば,フォックス・ヌードルである.
なんのことか,わからない.
なぜキツネの好物はあぶらげということになったのか.キツネは肉食性動物で畑のねずみなどをよく捕らえる.害獣を退治してくれて,今年も作物が良く稔り,豆も良く稔り,それで豆から作ったところの豆腐,さらに豆腐から作ったところのあぶらげを供えて,稲荷神のおつかいであるキツネに感謝の意を表すようになった.と,ものの本に書いてある.
本当であろうか.そうだとしたらどうしてあぶらげ以前に豆腐そのものをあげないか.豆腐以前に豆そのものをあげないか.理が通らない.
思うに,キツネとあぶらげの親和関係は,仮にそういう事情と無関係ではないにせよ,なにより両者の色つやに相通ずるものがあるからであるまいか.口に銜えるさまも絵になる.そして油である.
昔から化けるものは油を嘗めると決まっている.豆腐みたいな水臭いものでは化けが効かぬのだ.
実際のキツネはあぶらげなど全然見向きもしないらしい.
水仙に狐あそぶや宵月夜
草枯れて狐の飛脚通りけり
公達に狐化けたり宵の春
いずれも与謝蕪村の句.シャープでつんつんした水仙の立ち姿は,そういわれてみればなんとなくキツネっぽいところがある.ちょうどいまごろの季節の楽しい空想.次も冬の句,枯れ草に一陣の寒 風が走り抜けるさまをキツネの飛脚が通ったようだと遊ぶ.公達に化けおおせるならたしかにそれはキツネで,タヌキではない.化ける双璧の狐と狸だが,イメージは対極にあり,その違いはどこかしら短歌と俳句の違いにも一脈通いあう.
あづさゆみ春の真昼の下り電車口あけて狐型美少年眠る  酒井佑子
「狐型美少年」が目を剥くほどユニーク.そしてこの感じ,なんとなくわかる,わかる.
「狸型美少年」というのはありえない.タヌキならオヤジ,狐の隣りで泥眠中.
(歌人)

竹内街道
2009.2.16
2009.2.17
2010.8.1

竹内街道と聞くと,なにやらいにしえの声が聞こえてきそうな雰囲気がある.
たしか司馬遼太郎も‘街道をゆく’の連載では,第1回の近江路の次に取り上げていたのではなかったかと思う.かつて何とはなしに憧れて車で行き来したことがあるが,この道は歩くのが正しい.なんといっても古代飛鳥と難波をつなぐ第一級国道であり,かつて聖徳太子も通ったかもしれないのだから.
そこで昨年自転車で行ってみた.国道25号線亀の瀬を経て国分から石川をのぼり,近鉄南大阪線に沿って駒ヶ谷駅から上ノ太子駅を経て太子町に入った.太子町側からの登りの方が少しは緩いかと思ったのだが,当麻側からの登りも似たようなものかと後日地図を見て思う.大阪府と奈良県の境界が竹内峠で標高およそ288mだ.太子町交番前が標高90mでその間約2.6㎞だから,平均7.6%勾配である.この辺りの道路の中では急な方か.交番前から約1㎞地点に道の駅‘近つ飛鳥の里太子’があるので休憩には丁度よい.ここまでは国道と川を隔てて併走する狭い旧道を通る. 道の駅から峠までの1.7㎞は自動車がビュンビュン行き交う国道166号線で一番苦しい.峠から奈良側へは一気の下り.そのまま旧街道を抜けるのもよいが,途中国道を避けて‘史跡の丘’へ迂回し,中将姫伝説で有名な ‘ 當麻寺 ’ さらに牡丹の石光寺へと廻るのも一興か.

感 性
2009.2.24

らく設計の仕事をしていて,様々な人の建築作品を見る機会が多い.私自身は完成度の高いモノに惹かれるのだが,隅々まで隙のないモノは,息が詰まりそうで何か抜けたところがほしいとか言う人もいる. 果たして完成度の高いモノは本当に窮屈な思いをさせるだろうか? 何か言い逃れのような気がしなくもない.‘ 抜け ’ をさりげなく用意するのも完成された姿かと...
自身はと言えば,そういったところを目指すのだが,いつも幾つかの失敗を残してしまう.
クライアントには申し訳ないことと思うのだが,案外気にいって貰ったりする.ま,永久にその繰り返しなのかなと思う.人により評価基準が違うのは,その人その人の立場と感性の違いによるのだろう.ただ,全ての仕事において,‘ 小さなことでもいいから必ず何か新しいことを試みる ’ ことは実践している.これは特段構えて考えるまでもなく,デザインの課程の中で意外と発現してくるものなのだ.
以前薪能を見たとき,その場の雰囲気に大きく感じいったことがあった.伝統文化である芸能,古建築,工芸品などに,研ぎ澄まされた感性を見せられ,圧倒されるのだが,自分に自信が持てなくなってはプロとしての仕事は出来ない.自信過剰も問題だが...設計業は感性を磨き続ける責務を負わされているような業かと.しかしこのことはモノを創る立場だけではなく,全ての職種に通じるように思う.営業,販売,マーケティング,財務,教育などなど...  全ての業に対して言い得るのではないか.所謂,何々センスと称せられるものだ.経験則だが,優れた営業センスを持った人とか,優れた構造センスを持った人との仕事は,スムーズで問題が少なく,結果も上々で美しいことが多い.
では感性を磨くには...  むかし,竹中工務店に在籍していた頃先輩から言われたことがある.曰く‘鉛筆を持たなくなったら,おしまいだよ’要するに常に手を動かして描いていることなのだ.もう一つ私が思うに ‘ 五感を常に働かせる ’ だ.よいモノとそうでないモノを見分ける,よい音,よい味,よい触感,よいモノを見つける能力を養うことだと思う.そのためにはいつも観察をして感じ,その何ゆえかを考えることを日頃の癖にすることだ.さらに面倒くさがらないことも大事.中途半端で見切ることがよくない. 私に思いつくのはこれぐらい.私の場合,これを怠ったら感性は止まるどころか退化し始めるだろう. 

玄人・素人
2009.3.10

電車の,あるいは移動中の車の車窓から必ず一つや二つホームセンターの店が目に入る.‘D.I.Y.’と言う言葉を聞いたのは30年くらい前になろうか.ホームセンターの店舗展開が活発になり始めた頃と思う.今や,資材,道具類はもとより日常生活用品,家電製品まで置かれている.無いのは生鮮食料品ぐらいである.プロが使いそうな道具から,日常の生活に密着したモノまで多彩な商品が置かれている.
普段の修繕など,今やそうそうプロには手軽に頼めず,先ず自分で何とかする時代なのだろう.職人さんの手間賃が高くなったこともあるが,身近に気安く頼めるような人がいなくなったこともあるかもしれない. 私の子供の頃は,近所にはたいてい大工さんがいたり,木工屋,金物屋などがあって,学校の行き帰りなど,飽きもせずその所作を眺めていたものである.道具の使い方も自然と身についたし,実際見よう見まねで様々なモノを拵えもした.今は,そういった技能集団は住環境のこともあって,いわゆる何々団地として郊外に集められ,組織化され,日常間近に見ることがない.大学の講義の中で学生諸君に大工仕事のビデオを見せたりすると実に興味深く見ている.その様子を見るにつけ,今の若い人達は鉋の使い方さえ知らないのではないかと思ってしまう.
D.I.Y.’もよいが所詮は素人仕事であって,残念ながらプロの出来には遠く及ばないのが現実であろう.プロとアマの違いはどこにあるのだろうか?
NHKの番組で ‘ プロフェッショナル ’ というのをたまに見る.プロの持つ華麗な技と知られざる心意気を伝えるのが主題なのだが.必ずその人の使っている道具も見せてくれる.中には相当使い込まれたモノもある.また番組最後の ‘ プロフェッショナルとは?’ と言う問いに答える各出演者の言葉が,それぞれに意味深く至極である.
そこから感じ取れるのは,プロとアマの違いは先ず,技量技術,次にプロ意識・心意気,年期,そして道具であろうか.プロほどの使い分けは出来ないにしろ道具だけは素人でもある程度揃えられるが,一番大事なのはモノをしっかり固定できる台だと思う.ターゲットが動かなければ,かなり正確な拵えが出来るものなのだ.それと次に手順ではないかと思う.プロはきちんとした手順を踏んで作業をする.回りくどいようでも失敗がなく正確である.対して素人はともかく完成を急ぐあまり,その辺を外してせっかちに作業を進めてしまい,結果がよろしくない.なにごとにもいえることだが,一つずつ手順を踏まえ横着を決め込まぬことが大事ではなかろうか.
 

ことば
2009.3.11

学生時代,英語の授業が嫌いであった.したがっていまだに,英語には苦手意識がある.それでもノーベル賞を受賞された先生がおられるのは嬉しい.
ずかしがり屋なのが災いしたのか,例外が多くて一つの方程式に乗らないことが性格的に合わなかったのか,それとも説明の求めすぎ~完璧に理解できずとも‘大雑把に意味さえ判ればいいや’というようになれなかったのがいけないのか.それらが少しずつ影響したのかもしれない.いずれにせよ当時の教育に問題があったと責任転嫁しておこう.
それでも社会人になってある時,2年間ほどNHKラジオの初級英会話を毎日欠かさず聴講したことがある.その期間中はよかったが,止めてからはまた元の木阿弥になった.それ以来不向きなことはやめにした.だからあまり一般的でない外来語はなるべく使わないようにしている.
元々,小学校以来国語も不得手であった.長文となると作者の意がなかなか汲み取れず,どうも読解力が劣っていたとしか思えない.今でも小難しい文章は読みたくないほうだ.むろん作文も苦手であった.
なのに今なぜこのような寸文を書いているのか不思議に思われようが,これには訳がある.
竹中工務店在職中,雑誌の記事掲載にあたり,草稿を上司に見てもらったのだが,ほとんど原形を留めないほど修正されたことがあった.また別な折,他の上司から硬い文体を散文詩的に修正されたこともあった.この経験が転機となり,おぼろげながらも私なりの文章の仕方が掴めたし,言葉を大事に使う習慣が身についたように思う.
最近,話し言葉で気になること.
重ね言葉 :曰く ‘一番最初に..’ ‘ 一番ベストの..’ ‘ ビューティフルに美しい ’
数え方 :曰く ‘ 歳が1コ上で..’ ‘ 写真が2コ必要で..’ などなど
学生時代,ことばを最も大切に使う人は ‘ 詩人 ’ である,と,フランス語の先生から教わったことをよく覚えている.詩人とまでゆかなくとも,ことばは選んで使いたいものだ.
日本語の奥深さを大切に.

木 箸
2009.3.27

伊藤洋一公式サイト ‘ Day by Day 03/26 ’ で興味ある記事があった.
ところで今回のWBCを振り返ってみて一番私の頭に「そうかもしれない」と思った証言、今でも一番頭に残っている証言は、前の中日の監督だった権藤さんがWBCを見て書いた一文です.

どの新聞に載っていたのかは忘れましたが、日本と韓国の投手が他の国の投手より一頭地出ていたことに関連して、「もしかしたら、日本や韓国の投手のコントロールがいいのは、箸を使う文化が影響しているのかもしれない」と言っていたこと.
この発言は意表をつくものだったし、実際に考えて「そうかもしれない」と思ったので記憶に残っているのです.真偽は分からない.しかし考えてみる必要がある問題提起だなと思ったのです.

と言えば木である.象牙や金属製もあるがやはり木であろう.特に割り箸はそうである.ひと頃,割り箸に関しては森林破壊の元凶であるとか,いやそうではなく間伐による森林保護になるとか,様々に議論されいまだに明快な結論は見出し得ないようだが,皆伐でなく計画植林サイクルの中での択伐なればサスティナブル(持続可能)ということのようだ.
コンビニでは,スパゲティやドリアなどの弁当には樹脂製のフォークやスプーンを付けてくれる.樹脂製なのは,形状からして成形が容易でコスト的に有利だからであろう.それでも私はなるべく割り箸をもらうようにしている.その方が食べやすいからだが,樹脂製品だとなぜか廃棄するのに躊躇してしまう.洗えばまた使えそうな気がするからだ.‘洗い箸’を含め洗うことは水汚染に繋がり,また石化製品である以上石油資源を消費しており,対資源・対環境上一概にどちらがよいとも言いかねる.
廃棄後,木は紙パルプや,チップ化して建材の原料にもなるので,樹脂製品よりもリサイクルの面では有利なような気もする.ただし分別という条件が付くが.
なにより直接口に触れるものである以上,コンシューマーとしての立場からだけに限れば,プラスチック製品よりも感触,香り,暖かみを感じる木の方に分がある.
うのだが,弁当に付けるスプーンやフォークも木製あるいは竹製にすればどうであろうか.もちろん解決すべき課題は数多いことと思うが,採算的には売り上げが期待できて,コスト高をカバーできそうな気もするのだが.

朝の楽しみ
2009.4.3

の声が耳に心地よく届く季節になった.私はJR大和路線(関西本線)の ‘ 三郷 ’ という田舎駅から通勤しているが,寄り付き道路・駅前広場に面する駅舎と線路を挟んだ反対側には大和川が流れている.広い河川敷は大雨が降ると濁流に埋まる.護岸程度の構築物はあるが,ほぼ自然のまま放置され,ところどころに小さな独立樹が立つ荒れ野原といった風情で人を寄せ付けない.
大阪方面に向かう下りホームはこの河原に面しており,電車を待つ短い時間にたびたび鶯の声を聞く. この鳥は警戒心が強く,葉の茂みに入り込み,姿を見つけることは難しいとされているが,声のする方に目をこらすと,立枯れて葉っぱのない木に止まって一所懸命鳴いているのを見出す.人も近づけぬ安全な場所ということか.多分同じ鳥であろうか,暖かくなるにつれ ‘ ホーホケキョ ’ の ‘ ホー ’ の部分が長くなってくるのがわかる.縄張りを主張するため鳴くのだそうだが,見ていると ‘ ホケキョ ’ のところで身体を震わせている.
の駅は ‘ 河内堅上 ’ でこちらはホームの川側直近が桜並木になっている.現在7,8分咲きだが,今日はかなり大きな数羽の野鳥が蜜を吸っているのかついばんでいるのか,花に群れている姿を初めて見た.移ろいやすいこの時期,晴れた日の朝の希少な楽しみの一つとなっている.