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食わず嫌い
2010.1.1

食わず嫌いというものは人それぞれあるだろうし,私も例外なくある.それも多い方かも.その筆頭は海鼠(ナマコ)である.噺のタネによく言われることだが,これを最初に食した人は勇気があったとしか思えない.ま,世の中にはゲテモノ食いといわれる人がいる以上いずれ食用になったものかもしれぬが...いまだに好きにはなれない. 次に来るものは,
長モノ である.蛇は論外だが,今では好物となったものが多い.鰻,穴子,鱧,太刀魚といったところになる.このうち鰻は入社数年後,B1階の竹葉亭の洗礼を受けて好物の側にシフトした.今では鰻のにぎりも好物となったのだが,さて,穴子である.とある大阪空堀通りの屋台の寿司屋でこの魚に対するイメージが一変したのだ.私にとって穴子は ‘ 妙な臭みがあるもの ’ であったのだが,ここで出されたモノは違った.まったく臭みがない.これまでの穴子はいったい何であったのか.素材なのか,料理の仕方でかくも違うものかと.ご存じの方もあろうが,私はこの屋台で偶然テレビデヴューした.半年前から予約が必要で,たまたまキャンセルした料理の先生の代打で出向いたのが,マイナーなテレビ局のロケに遭遇した.料理専門家が来ると言うことで予定されたのだろうが,あに図らんや私に変わってしまったというわけだ.亭主曰く ‘ 頭は空っぽだが美人 ’ の某タレントと御一緒したのだが,この番組の中で穴子について同じ感想をしゃべっている.余談だがその後会った色々な人からこの話が出され,ははぁ,テレビというものは意外に見られているものだなぁ,と妙に感心などした.
が次にランクインする.昔からササミですら毛嫌いしていたのだ.あのぶつぶつとした皮の感触が不気味.骨付き,モツなどは言わずもがなである.ある時事務所に愉快な男が入社.盛んに焼き鳥の話をする.そんなに旨いものならと,密かに練習(?)することとした.口コミ誌など調査の結果,梅田地下街 ‘ ぶらり横町 ’ の入り口にある ‘ 鉄砲 ’ に決め,一人乗り込んだ.狭い汚い暑い店で ‘ うちは飲み屋でおます.トリはアテでっさかいトリだけ食べに来てもらっては困ります.せやから家族連れはお断りだす’ というへんこで,ロレックスの時計を腕にした親父が一人で切り回していた.ここで私の目から鱗が落ちた.手羽,レバー,ズリ,ハート,皮までもいけるようになった.おまけに冷蔵庫が無くビールは氷で冷やしているから適温で実に旨い.誰を誘ってもそう言うから間違いなかろう.月に二,三度は行ったものだが,残念ながら今はもう無い.
究極 は仏国人がこよなく愛するエスカルゴ.どう違うのか分からぬがナメクジは古代からの被差別種族だ.これだけは絶対に食べることはないと思っていたが,はゝゝ,敢えなく降参した.降参させたのは,リーガロイヤルホテルのセラーバーである.幸か不幸か調理が卓抜だったのであろう,その後他で食しても旨いと思うことがなかったから.
しかしながら,未だに拒否し続け,死ぬまで口にしないと思っているものもある.第一が白子.元々魚の“子“は数の子,イクラ,キャビアを除き一切食べないが,特段あの独特のふわふわ感には馴染めない.また,中にはかなり低い確率ではあるが猛毒の卵巣の混じったものもあると聞くから尚更だ.命を賭ける勇気は持ち合わせない.次には,姿・形が気色悪いもの.挙げればシャコ,ホタルイカ,イイダコと並ぶ.要するに性が‘臆病・恐がり’というのが確かなようだ.
最近,本はメディアも含めた口コミで買ったり読んだりすることが多いのだが,小説にも同様,食わず嫌い,否,
読まず嫌い がある.たとえば藤沢周平.以前見るともなくほんの偶然に彼原作のテレビドラマを見たことがある. 内容は忘れてしまったが,静かで,あでやかで,美しい映像,悲しくも儚い物語,に思わず涙してしまった.作者自身が言うように “ 私自身当時の小説を読み返すと,少々苦痛を感じるほどに暗い仕上がりのものが多い.男女の愛は別離で終わるし,武士が死んで物語が終わるというふうだった.ハッピーエンドが書けなかった.” このときから藤沢周平のイメージが固まり,以来決して読むこともなく過ぎた.数年前これも偶然,NHKラジオ深夜便で松平定知さんの朗読 “ 蝉しぐれ ” を耳にし,週1回数ヶ月間聞き続けた.これでイメージが反転,図書館にある本を片っ端から読み出した.‘ 用心棒日月抄 ’ などは司馬遼太郎や池波正太郎にあるシリーズ同様,痛快で楽しめ,読後感もよい.今では肩肘張らずに読めるお薦めの作家だと思っている.

道具か技か
2010.3.7

バンクーバーオリンピックも終わり,我国選手団も帰朝した.実況を見ることは殆どなかったが,ついつい夜のニュースで見てしまう.冬季の競技は夏季のものに較べて相当ハイスピードであり,重大事故につながる危険性とは紙一重と言える.今回も悲しい事故があった.最近の種目はアクロバチックな大技を競うものが増えつつあるようだが,タイムとか,距離,高さを競うのが本来の姿かと思う.採点でなく計測数値で結果が出るのだから,順位が明確である.陸上競技に代表されるようにそれでは面白味に欠けるのか,もっとエンターテインメントにと言うことか.
は昔,スキーをやっていたから,今でもアルペン競技はまま見る.残念ながらテレビはメダルの期待のかかる種目を主体に放送するから,アルペン種目はあまり放送されないのが少々残念ではある.たまたま見たテレビ放送で解説者が,‘ 今は板の性能が飛躍的に向上し,そのため上位10人では誰でもが優勝する可能性があり,順位の予測がつかない.' と言うようなことを言っていた.つまり僅かのミスも無く,道具の性能を旨く引き出せた者が勝者となるわけだ.私がスキーにはまっていた頃は違った.勝者たるには道具よりは技量の占める割合が大きかったように思う.数シーズンに亘って常に勝ち続ける選手が多くいた.ダウンヒルのフランツ・クラマー,回転スペシャリストのインゲマル・ステンマルク,女子オールラウンダーのアンネマリー・モザー・プレルといった名前を今でもよく覚えている. クラマー,プレルはオーストリーの選手で憎たらしいほど格好良く,しかも強かった.
ステンマルクは天才的スラローマーで,未だに神話ともなって語られる.彼はアルペン王国オーストリー,フランスの選手ではなく,スウェーデンの選手で,しかもマイナーなエランという当時の社会主義国ユーゴースラビアの板を使っていたのが印象に残っている.アルペン競技は自然の斜面に都度旗門が設定されて行われるから,スピードスケートと違い世界新記録というものは存在しない.なので単純な比較は出来ないけれども,彼の作った驚異的な数々の記録はこれからも破られることはないような気がする. スウェーデンの選手といえば,ウィンブルドン5連覇のビョルン・ボルグを連想してしまう. 二人には共通点がある.‘冷静,沈着,寡黙’というこれぞまさに勝負師の極み.

山本兼一
2010.4.1

昨年の夏頃, 以前在籍した会社の先輩から ‘ 山本兼一 ’ の小説を薦められた.歴史・時代小説分野での新進気鋭作家ということだが,私の好きな分野にもかかわらず,はゝゝ,知らなくてこれまでに読んだことはなかった.確かに司馬遼太郎や池波正太郎,藤沢周平とはまたまた違った面白さを感じた.
直木三十五賞を獲得した‘利休にたずねよ’から読み始めたかったが,生憎と地元図書館では貸し出し中で,丁度そのころ映画の公開が予定されメディアに取り上げられていたことと,職業的興味もあって,先ずは‘火天の城’から読み始めた.これは織田信長の命で安土城を造る番匠(大工)岡部又右衛門以言(もちとき)の物語だが,木の心,石の心が大工や石工の振る舞いを通じて伝わってくる.
に,同じように信長に仕えた技術士官をモチーフにした,鷹匠 小林家次と砲術師 橋本一巴(いっぱ)の生涯を描いた‘白鷹伝 戦国秘話’,‘雷神の筒’と読み進んだ.この3部作の他に江戸時代の刀鍛冶 長曽根興里の鋼 (はがね)に対する執念を描いた ‘ いっしん虎徹 ’ も興味深く読んだ.
ワンパターンともいえようが,我が国の伝統的な技を実に精緻に描き,命がけでただひたすらその道を追い求める姿が感動的であった.特に ‘ いっしん虎徹 ’ は大学の講師をしていた頃 ‘ たたら製鉄 ’ について調べたこともあって,読むほどに興味が尽きなかった.鉄鋼関連の職業にある人には常識的なことなのかも知れぬが,一読をお勧めしたい.
これら以外にも ‘ 利休にたずねよ ’ は茶の道と道具に,‘ 千両花嫁とびきり屋見立て帳 ’ は筋立てと登場人物が突拍子なきにしもあらずだが,最上級の道具とか工芸品の話がふんだんに登場して楽しめる.
小説的な技法はともかくも,技術的な側面が奥深く探求されて,匠の技とか誇りが生き生きと描かれており,同じ技術職としてそれだけでも読み応えがあろうというもの.このような徹底的な調査を駆使した手法はかつて山崎豊子の小説もそうだと思うが,圧巻はフレデリック・フォーサイスの一連のスパイものだと思っている.
ま,我々にとっては裏世界の話なので,何もかもが知らない分野でもあり一層そう感じたのかもしれないが...
のような調子で,彼の出版作品は全て読み尽くしてしまった.新作を心待ちにしているのは私だけではあるまい.

平家物語
2010.6.2
2010.7.11

先頃, ‘ 宮尾本・平家物語 ’ を読み終えた.小学生の頃に子供向けに書かれた平家物語をわくわくしながら読んだ経験がある.その後吉川英治の ‘ 新・平家物語 ’ をずいぶんと時間をかけて読んだし,そのもっと以前に映画化されたものを観たこともある.印象としては,保元物語,平治物語と並んでいわゆる軍記物というイメージが強かった.源氏と平氏の戦い,両者の栄枯盛衰の物語という思いであった.
にとって,作者の宮尾登美子はこれまで何か暗いイメージがあり,読まず嫌いの作家の一人でもある.たまたま図書館で山本兼一の横に置いてあり,ふと手にして読み始めた.かなり分厚く重たいハードカバー3巻で,寝て読むが膂力がないので,肘を痛めてしまった.文庫版も出版されているようだが...‘ 新平家 ’ ほどではないが長編である.
NHKの大河ドラマ ‘ 義経 ’ の原作であるにもかかわらず,義経の話は少ないし,頼朝の石橋山の戦いの顛末なども全く書かれていない.平家と源家との戦いの経緯というより,まさしく平家の一族の物語と言える.女流作家らしい優しい文体,柔らかい京・公家言葉遣いで書かれてあり,古典的な色合いも充分. 前半は清盛,白河院,祇園女御,待賢門院璋子,後半は時子,後白河法皇,建春門院滋子を中心とした非常に多い登場人物 ~それも女性が多いが~ の一人一人についてその生き様が叙情的に語られている.
我国の多くの人は,問えば平家より源家の方に好感を持っていようが,ま,これは最後に勝つのは源氏であり,後の歴史書は勝者に都合よく清盛は悪の権化,源氏は正義と描かれているからだろう.宮尾本では清盛は優しい心根の持ち主であったように描かれているが...それと,いわゆる判官(義経)贔屓もあろう.オリジナルの平家物語に近いストーリーかと思ったりもするが,読んでもいないのでよく分からない.
物語は,かつて不比等以来の藤原氏がそうであったように,平家も一門の繁栄を願って天皇家との繋がりを求め,皇統に血筋を残すことに累々と策を施す.壇ノ浦で時子と安徳幼帝が入水する場面は言い伝えと違って作者の創作であろうか,高倉天皇第2子,殖子(藤原信隆の娘)腹の守貞親王と入れ替わっており,安徳天皇は守貞親王として京へ戻る.皇統に平家の血筋は残ることになるのだが,結局その2代後に絶える.巧みな筋立て! 
残された人々の生き様がまた哀れに綴られている.一貫して流れるテーマは死生観.原作もそうであろうか.たまたま読み終えた数日後に母が他界したのでより一層その感が強い.
の後やはりオリジナルに近いものを読みたく思い,中山義秀 ‘ 現代語訳平家物語 ’ 3巻を買い求めた次第.

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平家物語つづき
2010.7.10

中山義秀 ‘ 現代語訳平家物語 ’ をようやく読み終えた.文庫版3巻なのでさほどの長編というわけではないが,読み辛かったのだろう,1ト月ほどかかった.想像と違い ‘ 宮尾本 ’ とは随分と様相が異なっている.手短に言えば,前者は‘物語’後者は‘小説’ということか.当たり前だが.
オリジナル(と言っても50種類くらいの異本があるそうで何とも言えぬが)は,13の巻に分けられ,それぞれが完結した短いエピソードの集合体になっている.語ることを前提に構成されているからそうなったのだろうか.歌舞伎の「何段目」と同じで,どの部分を取り出しても興が沸くようにということか.時も前後するし,全体の流れ,登場人物の血筋や人間関係などある程度知識がないと解り辛い.これも歌舞伎と同じ.200人近い人間が誰それの子,誰それの孫というだけの簡単な説明だけで唐突に登場するのだから.ま,往時の人々にとっては充分承知,説明の要らぬ事柄だったのかも.
その点,‘ 宮尾本 ’ はストーリーを捉えやすい.まさに大河小説.基本的な構成はオリジナル同様‘平家一族の物語’として語られるが,清盛の前の世代から実に多くの人物を登場させつつ,一連の流れとして実に興味深く描いてある.平家はもちろん,天皇家と藤原家それぞれ多くの后,後宮,女官を中心とした展開となっているのは,オリジナルには見られないところで,雅やかな表現は女流作家ならではの感がある.ちなみに清盛の青年時代が描かれた前段.そこに登場する人々の相関図を ‘ 宮尾本・平家物語 ’ から転載しておこう.
相当な文献調査を要したであろう,史実と創作とを巧に綯い交ぜているところ,オリジナルとは少し異なる人物描写もまた歴史小説の醍醐味と言える.入魂の作と思う. 今のところ一等最初に読む平家物語としては ‘ 宮尾本 ’ が様々な人物を知り得て最適ではないか.

地 理
2010.8.18

子供の頃から地図を見ることが好きであった.最初は大阪市域,府域,そして日本地図から世界地図へと範囲を広めていくのだが,それにしても50年以上も昔のことである.
当時の大阪はやたらと川や運河が多くあり,今も地名にその痕跡を残しているが,典型は‘四つ橋’だろう.若い人に四つの橋を順に渡った話をすると ‘ ヘェーそうなのか!’ という驚きの声が返ってくる.小学校から中学校当時は,日本・世界を問わず国や都市の名前を始め,海,島,海峡,半島,川,平原などの名前を必死で覚えたものだ.お陰で今でもその半分くらいの名は記憶に留まっているように思う.テレビのクイズ番組でも地理のジャンルに絞れば,程度にもよるけれど,まあ正解率は高いほうだ.ただ,近年東欧から中央アジアにかけて多くの国々が独立あるいは分裂したので,アフリカ諸国も含めて今では国名を聞いても直ぐにはイメージできなくなっている.加えてインド・パキスタンなど,地名が現地読みに変わっているのも憎らしい.
でも,世界各地を歩くカメラ目線のTV番組(番組名を覚えていない)などはよく見るし,地図を眺めだすと時間を忘れる.ただし最近見るのは奈良県下の地図だけ.自転車で行ける範囲に限られる.
司馬遼太郎の ‘ 街道を行く ’ はその地の歴史・風土との関連が何より興味深く,次々と読み続けることとなった.もう新版が出ないのは寂しい限り.
話は変わって ‘ 蕎麦屋 ’ .日本人は自称蕎麦通が多い.蘊蓄・講釈ともかく多い.近頃は自分で蕎麦打ちをする人も増えているとか. 私の場合は,‘ 近くなら行ってみようか ’ 程度であるが,ミニコミ誌や雑誌に紹介された,宇陀市榛原区にある蕎麦屋が以前から気になっていた. お盆休み,休店とは知りつつも自転車を繰り出した.猛烈な暑さの中,桜井を経て大和川沿いに国道165号線初瀬街道を東に向かった.榛原直前の西峠を登るに,まるで火桶を背負っているかのような背中の暑さ,体温の急上昇を実感.マラソンランナーが走りながら頭から水をぶっかける気持ちがよく分かる.熱中症になっては一大事と,道路沿いの木陰を見つけてしばし休憩.
さて,榛原に到着.標高が高いので涼しい.宇陀川・内牧川の清流を緩やかに遡行,伊勢本街道369号線を蕎麦屋のある自明まで往復する.帰宅後気づいたのだが,榛原の街を東西に横断する宇陀川は,この先室生口大野から三重県まで流れ,名張川に注ぎ,木津川に合流し,ついには淀川となって大阪湾に至る.なんと大和川と吉野川の間に淀川水系があるとは! 自分にとっては驚きの新発見.
帰途,桜井を過ぎて日が翳り,とにもかくにも西へ西へと田んぼの真ん中を走行中,夕日が二上山の少し北に落ちていく光景を目にした.季節が移れば,雄山雌山の間に沈むのかも.右手に耳成山,左後方に香具山,前方に畝傍山が見え,実に幻想的で,ひょっとしてここは藤原京では?と感じた.地勢的に相応しい場所だったのだろう,少し行くとまさに藤原宮跡の表示があった.二上山の向こうは黄泉の国と,大津皇子を二上山に葬ったウノノサララ皇后の気持ちもわかるし,持統天皇となって開いた藤原京の位置にも納得.歴史は現地に立ってみて初めて実感できるものかと思った次第.

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二上山に沈む夕日 クリックで拡大
二上山の向こう側は黄泉の世界か

耳成山 クリックで拡大
藤原宮跡から見る耳成山

畝傍山 クリックで拡大
同じく畝傍山

 

 

 

 

 

 



 

自動車
2010.9.29

若者のクルマ離れが進んでいるそうな.
60年代当時登場した初代カローラは,私も含めた学卒新入社員が1年間飲まず食わずで貯め込んでやっと買える価格であった. 今の新入社員が現行カローラを求めるなら,年収の約半分ほどで買えようか.性能は別として値段だけを比較すれば,感覚的におよそ半分に下がったと言うことになる.それでも若者が買わないと言うことは,クルマは魅力ある商品ではなくなったということか.商用で使わない限り生活必需品でもなく所詮高価なオモチャなのだから,置き場所,諸費用を含め余裕が無ければ維持できないし無駄である.その余裕がないということか.
一方,中国・インドなど途上国では,クルマ需要が旺盛だとか.
私達世代の青壮年期は,今の新興国のような経済成長期であった.当時は入社後1年ぐらいで無理してクルマを手にする者もそんなに珍しくはなかった.将来に希望が持てて,何の不安も感じない時代と今とでは様相が全く異なるのは当たり前.経済対策の一環として行政が本気でやろうとするなら,エコカー減税など一時的な対策を出すよりも,維持費が軽くて済むような施策をとること.距離を走れば当然かさむ燃料代や高速道路代は別として,毎年の自動車税,車検費用+重量税を廃止か軽減する方が手っ取り早いと思う.できれば自動車取得税もない方がいい.むろん消費税は別だが. 私にとってクルマは,交通の便のよくないところに住んでいるのに加え,今は自転車を運ぶのにも必要なのだが,普通乗用車で年間3,000㎞も走行しないのだから重量税については余計にそう感じる.
一時,4WDとか四駆と称するオフロードの大型車が流行ったことがあったが,山奥や雪国の人ならともかく,大都会の真ん中をこれで疾走するのはいかがなものか.道路を傷めているだけではないか.加えて昨今は,ミニバンと称するクルマがやたらと多い.大人数,大家族で乗っているのは様になるが,一人で乗っているのは何とも寂しい.重量,風の抵抗とも大きいからその分燃費も悪かろう. 私にとって最良の選択は小型高性能であること.現在ではそれに自転車の搬送が加わるから,ワゴンタイプか5ドアハッチバックということになる.
はじめて手にしたクルマは,彼の名車510ブルーバード1600sssであった.10年ぐらい使っていたオンボロ車を貰い再塗装して乗ったのだが,基本性能が良かったのだろう,まあよく走った.ただし高年式車ゆえ故障も多くプロペラシャフトまで交換した.アクセルペダルが戻らなくなったこともしばしば.シフトブーツを外せば下には穴が開いていて地面が見えたし,ベンチレーターにはフィルターがないのか,枯れ葉がそのままどっと車室内に飛び込んできたこともある.エアコンなどは勿論無いうえヒーターは故障していて,冬は手袋に膝掛けをしないと寒くて乗れなかった.
これはたまらんと,次は格好良さに目が行ってS110シルビアを中古で購入した.この頃からキャブレターに代わって主流になりつつあった電子制御インジェクション仕様を選んだが,排ガス規制が始まった頃で,ともかく廻らないエンジンであった.4000回転ぐらいで頭打ち,アクセルを床まで踏みつけても140㎞/hが限界であった.何となくこんなもんかいなと思いつつ8年ほど乗ったが,やっと我ら世代の憧れ,生沢徹がつくった神話車-スカイラインにバトンタッチ.R32-2000GTSに乗り換えてからは,その動力性能の違いに驚かされた.難なくレッドゾーンまで廻るし,フットワークも軽快,技術の進歩を著しく感じさせてくれた.通勤に使ったので3年間で60,000㎞に迫り,査定を気にして乗り換えた.
は究極の憧れBMW E30 325i.結構探し回って見つけた2年落ちの中古車である.エンジン音が重厚な割りに回転が滑らかで室内では衣擦れのような音がした.が,実は一番気に入っていたのはインテリアのデザインで,E34 5シリーズにも言えるが,伝統的な感性を感じさせる優れたデザインだといまだに思っている.車に乗っていて最も長い時間つきあうのはインテリアだから,私は先ずここに注目する.最悪だったのは純正オーディオスピーカーの音質で直ちに取り替えた.ステアリングホィールが手に馴染まずMOMOに交換したり,その他信じられないような故障にも遭遇.長く乗り続けるつもりであったが,側面からぶつけられて廃車になってしまった.
やむなく次にE36 323iに乗換.E30よりも確実に進化はしているし,電装品の不調以外特に不満はなかったのだが,何となく柔さを感じた.乗ってはないが3シリーズでは次のE46が最も完成度が高いように思える.しかしながらやはりE30,それもツーリングタイプが理想である.結局維持管理に費用がかかりすぎるので手放した.
現在乗っているマツダアクセラスポーツを選んだ最大の理由は,インテリアのテイストが欧州車の香りを感じさせたためである.欧州戦略車の面目躍如たるものがあるではないか. 購入時に営業マンに指摘した不満点がエンジン機構やATシフト,バンパーデザインなど四つほどあったのだが,2年後のマイナーチェンジ時に全て解消されていたのには少々悔しい思いをさせられた.しかしながらこのクルマは当分は手放せない.そのわけは,国産車に限れば今のところこれ以上のインテリアセンスの良いクルマが見あたらないことと,純正オーディオのBOSEシステムが素晴らしい音を出してくれるからである.

再々峠
2010.10.3
2011.1.4

奈良の自転車歩行者専用道を走っていると,よくジョギングをしている人と出会う.随分苦しそうに走っていて,とてもストイックに見える.向こうも同じようにに思っているかも知れぬが.
それはさておき,サイクリングを始めて7年を過ぎたが,自宅周辺は言うに及ばず奈良盆地内はほぼ行き尽くした感があり,何度も同じところを行くから,まあ,食傷気味ということになる.ジョギングをやっている人も毎日或いは毎週同じところを走っているのだろう.よく飽きないことだと思う.
自転車の場合はもう少し行動範囲を拡げられるから,必然的に,盆地周辺から外に向かうこととなる.つまり峠越えだ.以前から高山のくろんど池とか天理ダム,山辺の道,葛城古道などに行ってはいたが,峠を越えるという感覚ではなかった.しかしながらこのところ思いが変わり,峠を越える,山岳路(ちょっと言い過ぎ)を走破する,峠の向こう側に行ってみるという意識に変わりつつある.
昨日,以前記した多武峰・談山神社に行った.結局,桜井のメスリ山古墳に寄って寺川沿いの多武峰街道を登ることとし,桜井まで自転車を搬送しスタートした.標高差436m全行程約20㎞で距離としてはかなり短い.思っていたほど苦しくもなく多武峰に到着したが,明日香村に向けての下りの方がきつかった.ほぼ8%勾配の下りだが,途中から直線道路となりブレーキを握りしめる手が悲鳴を上げそうになった.帰ってから点検すると元々ブレーキシューが焼き付いていたようで,早速削り落とした.
で自転車を搬送するのはいいのだけれど,欠点は,また元の所に戻らねばならぬということだ.今回は別だが場合によっては再度峠を越えることにもなるから.最終的には電車での輪行が理想なのだが,駅で袋から自転車を出して組み立てて,また車輪を外して袋に入れてというのがどうにも面倒でまだやったことがない.
の癖かも知れぬが,一度初めてのところに行くと,その周辺の別のところにも行ってみたい,別ルートも試してみたいと同じエリアに繰返し行くことが多くなる.今年に入ってよく行ったのは,奈良阪,月ヶ瀬街道から岩船寺,浄瑠璃寺周辺の標高250m前後の周回ルート.高取町,明日香村,桜井,大宇陀から大淀町,吉野川へのルート.
桜井から大宇陀へは国道166号線松山街道を行った.標高387mの女寄(みより)峠まで直登に近い.道幅が狭く,車が猛スピードで追い越すため下りの方が怖い.標高350mの爽やかな大宇陀の高原からは津風呂湖,国栖,室生湖,室生寺まで足を伸ばせる.‘ 道の駅宇陀路大宇陀 ’ には無料の天然温泉の足湯があり,疲れた足を休めるにグッドだが夕方5時で終了するのが少々残念.
明日香から吉野へのルートの一つ,国道169号線はトンネルが出来たため,隧道の手前から芦原峠を越える道が廃道になっていた.やむなく少し戻って壺阪寺・壺坂峠(367m)ルートへと廻ったが,峠から吉野川に下る道は,車1台がやっと通れる程度の渓流に沿う狭い道で,途中には,今は誰も打たれることはないと思うが ‘ 安産の滝 ’ などがあり,思いがけず出会った爽やかな路の一つだ.次はかつての大王が飛鳥の宮から吉野の離宮へ行幸されたであろう県道15号芋ヶ峠(487m)を越えてみたい.
         ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
ところで,大宇陀はいにしえよりヤマトと吉野,伊勢を結ぶ交通の要所であったそうな.今も江戸時代の面影を残している一画がある.古代,かのヒコホホデミは河内の国でナガスネヒコに敗れ,熊野から再上陸して,八咫烏に先導され紀伊山地を縦断し,戦いつつ大宇陀に至ったという.(神武東征)
かに尾鷲辺りから奈良県と三重県の県境に沿った台高山脈を尾根沿いにたどれば国見山,高見山を経て大宇陀に達する.しかし,新宮から熊野本宮を通るルートとなると随分遠回りだしアップダウンも激しいように思える.本宮から大峰山系の南端玉置山あたりから奈良・三重県境沿いに台高山脈の尾根筋に出たのか.あるいは吉野川上流から国栖・宮滝・津風呂川を経て大宇陀に至ったものか.最終目的地磐余(いわれ)に向かって女寄峠を下ったのかどうかは知らぬが,後世光秀が亀岡から本能寺を目指し老ノ坂を下ったのとイメージが重なる.ニギハヤヒ,ナガスネヒコに勝利しヤマトの支配者として,畝傍山近くで即位し,磐余に宮を造営したと伝えられる.
箸墓古墳がヒミコの,桜井茶臼山古墳がニギハヤヒ或いはナガスネヒコの墳墓と仮定するならば,初代天皇カムヤマトイワレヒコ=神武の墓はどこにあるのだろう.‘ 記紀 ’ や ‘ 延喜式 ’ などの記述は曖昧で一致していないそうだ.磐余の地域にあって同等規模以上の古墳を捜すとなれば,メスリ山古墳であろうという説がある.猪熊兼勝・竹田昌暉氏によるものだが,素人の私にとっては直感的に魅力を感じる.今は住宅に半分隠されて全体像が見えないが,御破裂山麓の高台にあるだけに磐余からの往時の眺めは相当な存在感を誇ったであろう.茶臼山の方形部の方向が真南を向いているのに対し,メスリ山の二段の方形部が西方ー香具山,畝傍山の方を向いているのは何か意味があるのだろうか.一体全体,前方後円墳の向きというのはどういう風に決められたのだろう.

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談山神社参道 クリックで拡大
談山神社参道入り口

多武峰 クリックで拡大
多武峰より明日香村へ

安産の滝 クリックで拡大
安産の滝

室生湖 クリックで拡大
室生川から室生湖へ

メスリ山古墳 クリックで拡大
メスリ山古墳

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メスリ山古墳方形部より後円方向を見る

 

 

 

 

 



 

月下美人
2010.10.11

が家の月下美人が咲いた.4輪が同時に午後10時半頃に開花した.
辺り一面に芳香が漂う.メキシコを中心とした中南米に分布するサボテンの一種だそうで,3時間ほどでしぼんでしまうらしい.
近所の方が引越しをされたときに鉢ごと頂いたものなのだが,よくぞ咲いてくれた.


 

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教 育
2010.12.31
2011.1.3

先頃,NHKテレビのニュース番組で,小中学生の ‘ 全国体力テスト ’ の結果が報道されていた.福井県がトップで大阪府が最下位とのことだったが,全国平均では5,6年前の結果に較べ低下しているそうだ.ただ地域格差もかなりあり,都会と田舎というような単純な図式でもなく,どうも運動習慣の有無が関係するらしい.授業の合間に縄跳びや体操などを行っている地域が高得点を挙げていた.
じ放映の中で,名前は忘れたがある学校では,生徒の大半が自転・バク転をこなしていて驚いた.なおかつ半数以上の生徒が,体操選手並みの床運動を軽々とやっていた.全く出来ない体育オンチの児童も数週間後には出来るようになっている.体育教師の指導のやり方に特徴があるようで,一人一人ビデオを撮ってそれを再生しながら具体的なポイントをかなり事細かに教えておられた.また皆が出来るようになるまで出来る子が出来ない子にアドバイスしたり,手助けしたりしている光景も見られた.最初出来なかった子のインタヴューによると一つが出来ると達成感が沸き,また次にトライするといった意味の言葉があった.好循環がうまく作用している.
の場合運動と言えばスキーくらいだが,当時始めてからしばらくは技術も上がり,どんどんのめり込んだのだが,あるレベルから上に行かない.そんな時,指導員の資格を持つ人と数年間一緒に行くようになった.リフトの無い,よって人も少ない一つの斜面で,登っては滑り登っては滑る繰り返しをやった.そして都度ポイントを突いた指摘を受けることで,相当に上達した経験がある.
かつて私も学校の体育の授業が大嫌いの体育オンチであった.体育の授業がある日は憂鬱だった.その頃の体育の時間と言えば,晴ならソフトボールに代表される球技をやる.
しかしバットの握り方や,ボールの狙い方といった具体的な指導は何もなく,単に紅白に分かれて試合をするだけ.雨ならば体育館でマット運動や跳び箱と決まっており,それも順番に回転したり飛んだりするだけであった.少々乱暴な言い方かも知れぬが,先生は笛を鳴らすだけといった感じである.しかしながらこの放映を見て思った.もう少しきちんと教えられていれば,私も自転や逆上がりくらいは出来るようになったかも知れない.そうすれば憂鬱な日々を過ごすことも少しは減ったかも知れない. こんなふうに考えてくると,教育というのはとても大切だし,教育者には底知れぬ熱意と覚悟が必要となる.しかしここまでの資質が要求されるとなると,なかなか多くの良き教育者を育て,集めること自体が大変なようにも思えてくる. 難しいところだ.
が明けて,たまたま見ていて番組名を覚えていないテレビ放送で ‘ 教えるとは理想を共有することである ’ とあった. うーん...